2017年1月26日人権教育推進委員会が開かれる!
可児市の人権教育推進委員会が19日に開かれました。28年度の委員として一年間、自校での人権教育行事の取り纏めと共に、過去から教育委員会より委託された本センター主催の行事についても、主体的に担当して尽力されました。
★初めにY人権部会長の講話があり、部落差別解消法が、28年12月に法律化されたことに呼応して、同和問題が、情報化社会の中で部落差別を事の本質をかえて脅しや嫌がらせ等が生じている現状を見据えて、同和問題を久しく人権の要であるのに知らないでは済まないことから、学校教育においても教師と言う立場からも良く知っておく必要があることを、若い教師は学ぶようにとの話がありました。
★本研修会の前段として、本センターの職員(人権教育推進委員)として、28年度の本センターからの学校事業の報告をしました。
(1)人権本巡回制度(別称:ブックスフロー)毎年購入の人権本と市立図書館協賛で選考、供出してもらう本を、各小学校11校に一ヶ月毎設置し、子どもたちの道徳・倫理観の醸成を図るために巡回している。システムの読書数を発表約2000冊余り(約200冊/校)であった。本の読書カードには、道徳倫理の4コマ漫画を(カラー印刷)。また「いじめストップ」の文字の下には、「いじめ防止の標語」の入選作品コナーも記されている。氏名・読んだ本名・借用日等記入でき、切り取り線で切り箱に投入するシステムである。第8回目を終えることができた。毎年多くなりよく読んで貰っています。
(2)ぬくもり人権・300字小説事業は、人権委員の皆様に多くの負担をかけておりますが、実質的に小中学生の本人が作成することから、人権意識の高揚に成ります。
今年度は、「いじめ防止自治体サミット」が主要先進市のパネラーも参加で、全国に先駆けての開催でありましたので、テーマは、いじめ防止として募集しました。各校奮迅の努力により2704作品が応募頂き、標語16回目(2154点)。300字小説(550点)9回目ですが過去ともに最多応募数でした
(3)「子ども・ぬくもり教室」は、年2校(兼山小・春里小)巡回しましたが、特別に人権週間に合わせ土田小を追加して3校実施しました。個性の大切さ等をパワーポイント・サックス演奏等で訴えました。こうしたことを各小中学校と共にできえたことを嬉しく有難く思います。以上本件は、職員よりパワーポイントで報告させていただきました。
★その後、本センター事務局長より、「人権の育みは、日々の生活の中に」とのタイトルで話がありました。時代の激しい変動の中、いかにして人権を守り育んでいけばよいかを、過去の文献をひもとき解説しました。人権を脅かす本質を考え、中庸の考えの必要性を説き人間の本質は、人権の出生の本旨である自然権である。何が起ころうが、人がやってきたことのゆえに、人で解決するしかないので、対話による話し合いが解決策である。との話がありました。
「温故知新 以師為」=史実を正しく検証して真実を見抜く力を養うことが大切にすれば師となり人を教え導くことができる。{要旨}以下続き。(m・h)
「人権の育みは、日々の生活の中に」
可児市人権啓発センター
事務局長 川手靖猛(人権教育推進員)(文科省:社会教育主事資格者)
新しい年が始まりました。輝かしい年にしていきたいものです。
★「苟に日に新たにせば 日々新た、また日々新たならん」(中国古典「大学」より)
この言葉は、古代中国で横暴な「夏」王朝を倒して「殷の国」を開いた「湯王」が道徳的な過ちを犯さぬように自分が、毎日見る洗面盤にこの言葉を彫り込み持戒して民のための国を治めたようとしたそうです。
・土光敏夫氏(昭和の大経営者:元経済連会長の土光敏夫著「清貧と復興」より)は、この教えを通して
「政治や教育に携わる人は、現状のままに留まるのではなく、平等に与えられた24時間をどう使うかが人生にかかっているけれども、なかなか一日一日を、一瞬一瞬を大切にすることを怠ってしまうもの、一日の中、惰性・暇つぶし・憂さ晴らしごときが以外に多いものである。そういう時間をいかに使うか、日々コツコツ努力の質を上げ一途に前に進んでいくしかないのだ」と言っています。 曖昧な的に放たれた矢が当たるわけがないので、時代や惰性に流されずに前向きな姿勢で、正しく人生を生きる大切さを教えてくれています。
★しかし時代の流れは、本来漸進的にゆったりと変わっていくものが、昨今の世界情勢の変化は、激しくかわり過ぎています。極端に、やりたい放題に自国の対応に躍起になっています。永い歴史で培ってきた相互の関係・扶助精神は、どう成るのかが気にかかります。
心配なのは、こうした流れに呼応する人の拡がりが、人権教育の規範である倫理・道徳の人の持つべき良き規範や良き文化を壊し、地を這うような所作である教育を一瞬に壊してしまうことを心配します。
心の奥底にあった格差や差別の怒りや恨み等が鬱積して、ある事象を契機に鋭く噴出し始めます。
そのうえ、烈しく世論を突き動かして、個人や団体・国に影響を及ぼします。このように人権は生活の中にすぐに関わってくるものです。
社会学者は、こうした人権を侵し易い「差別・格差の拡大」の一因について、このように言っております。
こうした「実態の底辺に潜むことは、働きたいときに働けるように、本来、人権的に自由な生活をしたいというEUな流れが、グローバルな情報拡大により、働き盛りの若者までも網羅しはじめたことが大きな間題であった。また雇用の法律化したことが働く自由の倫理観を互いに誤解させて、日本人の持つ人間感を失わせている。昔では雇用主は、本来、正規従業員雇用が当たり前であり採用した責任から、優秀であろうが、そうでなかろうが教育をして適材適所で働いてもらっていた。ところが新たな法の、非正規雇用の方が景気の対応策として、経営努力も少なくて済む等。こうした考えでのもとで、若者の職業の定着化も崩れ、本来の自由な生活とは、かけ離れた実態が起った」 と言っています。
こうした情勢の中で「子ども・女性・障がい者・高齢者・外国人など」の人権は、左右されます。少しでも幸せに人間らしく生活しようと、生まれ育ち成長し老いていく過程に人権は、寄り添っているからです。
★つい1か月前に「可児市教育研究所」の機関紙を拝見しました。トップ記事に「遊びのゆくえ」と言う本市のU教育課長の記事を拝見しました。CTのこの時に、今ブームと成りつつあるレコード盤、蓄音機での音の観賞や子どもたちによる将棋やオセロゲーム等の昔のものが流行りだしたと言うことでした。より相手の顔の見えるレトロの魅力・アナログ力、対話力も併せて刻み込むことの必要性が書かれていました。
・この事は、中国の孔子が説いた「中庸の考え」のように思います。
孔子は、この「中庸の考え」を弟子たちに教えた時、「傾いた器」を用意して置き、戒めを教えました。「この器は、中に半分ほど入れるとまっすぐに立ち、一杯満たすとひっくり返ってこぼれてしまう」と「中道の道」の正義を説き教えます。『生き抜くには、極端な行動をしてはならない、中正なる態度、即ち差別や偏見によらぬ正しい態度をとり、時勢を見ながら柔軟に対処し、軽率に動いてはならぬ』と戒めを教えたと言います。ここでふと2つのことが浮かびました。
一つ目は、
★「歴史は来り返される」と(古代ローマの歴史家:クルチュウス=ルーフス)は、「過去に起こったことは同じような経緯をたどり、その時代に合わせて再び繰り返し起こる」と言っています。
また今、大人気の「脳科学者:中野信子著」では「起こすのは同じ人間ゆえに、人間の本質は時代を経ても変わらない。だから過去に学ぶといい」と言っています。
とはいえ、争いで戦争だけは起こさないでほしい。戦中生まれの自分は絶対に許すことは出来ない悲劇を身近に知っているからです。戦争弱者の子どもや女性の被害が多い。また人間が権力者から人権を得る長い闘いがあって民主主義の根幹は確立しているからです。
意気が上がって野蛮な自己中心的な考えは、懸命に積み上げた建物をあっという間に破壊してしまいます。
懸命に、人を育むと言うことの大変さは、地を這うような細やかな行為が必要かは、皆さんが良く承知のことです。これが一瞬に、無に帰し、教師の高貴な志を空しさに代えられては、我慢できないからです。
★では、人間の本質が変わらないとは何かーーー。
人間の本質は、人権の持つ本質と同じ自然権であります。<詳細は、5月に贈呈の「じんけん なあに?」参照>
自分と言う存在は、だれにも変わることのできない「一人としての人間として、生まれており、この命のまま尊い」と言うのが、人権の尊重の本旨だからであります。世の中は、とかく何事にも優劣をつけ優越感に侵ったり、劣等感に陥ってしまいがちですが、自分と言う掛け替えのない個性を持った存在であり、オンリーワンであると目覚めれば、他人と比較せずまた驕りや高ぶることもないように思います。これが人権のセオリーだからです。
★二つ目には、古いものへの回帰には、「小さな溜息が聞こえるから」と言うように、生身の相手がいることの大事さ。「レトロの魅力」「アナログの威力」には自分の心の入り込むすき間が自由にあるように思われます。心豊かさを、それぞれが違った形の個性としての多様な感じ方ができるのだと思います。それが、できるのは対話であり、対話こそ大切であると言うことです。
対話の必要性は、昨年に著作した「じんけん なあに?」で書いた通り、人は、生涯「本当の自分を見ずに死ぬ」。 それを知らずにいるのです。平静の虚顔は鏡で見られても、特に会話の中での瞬時の自分の顔の表情を見ることはできません。いつも相手の表情を見聞して交流を持っているのです。こうした理由を考えても「レトロ社会」や「アナログ社会」には、厳然と人と人の顔合わせ行動の多さがあった。一方、ITデジタル社会の革新は、便利さをもたらしているので、レトロとうまく融合された社会をどうつくるかであります。
★どうしたら融合した社会をつくれるかは、凡人には中々計り知れませんが、脳科学者の中野信子博士は、過去の歴史の大事さを言っています。 そこで今、中国約2500年前の「論語」等に興味を持ち読んでいます。
孔子の言ったことを弟子たちが著した「論語」の中に、良くご承知の「温故知新」があります。
「子曰わく、故きを温ねて 新しきを知る、以て師と為るべし」
すなわち、「史実を正しく検証し、真実を見抜く力を養ったならば、今から起こる事象に対して、正しく判断を下せるようになる。そのことをしっかりと出来れば師となり人を教え導くことができる」と言われています。歴史や古典、偉人の生き方などは、事実の原因と結果を見る事ができるので検証が可能で、こうしたことを学び、真実を見抜く目と心を養えば、人間性溢れる素晴らしい人生を歩むことができていけると思います。
★但し、温を「たづねて」と読むところを「あたためて」と読む事が今は主流らしいです。(瀬戸健介著「論語」より)
「肉をとろ火でゆっくりと煮込むと言う意味なので、その冷えたスープをもう一度じっくりと温め直すのと同じように過去の出来事をもう一度自分の感性で温め直し生き返らせる」ように捉えいくことが大事だと言っています。 「偉人が残した言葉や力強く生きた いきざまを学ぶことで、心が洗われ偉人の精神に近づこうと意欲が湧き、自分に生かすことが大切」とも言っています。
最後に育む上での多くの事象に対して「何の為に・どのような取り組み方が必要か」を考えるための、良い方向に生かす要素をあげておきます。<正しい①理解②思考③言葉④行為⑤仕事⑥努力⑦気づき⑧集中(釈迦の「陽の規則」より)>を考え、時がどう変化しようが、子どもたちへの人権の振る舞いの育みを共に進めていけたらと思います。