2017年5月23日思いやり教育を大切に・可児人権教育推進委員会開く!
19日に本年度、可児市の小中学校の新たな人権担当の教師による委員会が開かれました。
委員は、今年一年間自らの学校の人権のタスクを負い輝かしい人間味溢れる子ども達を育む使命のある方たちです。若い教師やベテラン教師と様々ですが、皆の顔就きは、真剣の眼差しでありました。
初めに「委員長のあいさつ」では、多くの学校での挨拶運動を一歩進めて、礼節から得ることを宣言として実施している学校を紹介。思いやり、また挑戦していくことの大切さをポディテブに高めあえることの必要性を話されました。
「教育委員会あいさつ」では、「人権教育とて、教師自らの言動から生まれ出るもの、よって日頃の子ども達とのやり取りを通おして発揮してほしい。各学校の推進力となっていけるよう精進してください」との話がありました。
自己紹介があり、決意漲る力強い発声でありました。
つづきまして、講話として、本センターの事務局長から、例年やらせていただいております。
この度は、<人権教育の「心の底流」について>との話でした。
「教師は、人権教育者でなくてはならない。本当の子どもの育みは、この心みなぎる人間性溢れる教師を目指す中にある。
人間性も、意識と行動の中からの派生であり、結果が現実として子どもたちとの共感の中に生まれ、この共振が、双方の心深くに沁み込み資質となるのである。
教師には、幾多のジレンマがあろうとも使命として志を果たすべきである」(内容は、添付しましたが、記述本人からは、事実的な個人情報は口外無用とのことです)
私共としての、永年、各学校への人権教育として、人権担当の教師に依頼し、支援頂いて来た事業のうち特に「標語・300字小説の募集」「子ども・ぬくもり教室」「人権本巡回制度」等につき、本年度の推進内容を、パーワポイントで示しお願いしました。
年々、益々闊達に推進されていく事業は、皆様のお蔭であるとの感謝の念を持ちつつスタートします。(m・h)
人権教育推進委員会 各位 平成29年5月19日
可児市人権啓発センター
事務局長 川手靖猛(文科省:社会教育主事任用資格者)
人権教育の「心の底流」について
★ 教育者のジレンマは、何かを考えてみました。
それは、いくら教える側が真剣で熱意を持って教えようとしても教わる側が、そのための意思と教わる姿勢ができていなければ、習得できないということです。
どんなに立派な先生でも教え切れない事あり、教えられない者がいると言うことです。
それを前提に現在の義務教育は、成り立っています。
先生が生徒児童を選べないから、師と弟子の関係にはなりきれないからです。
師と弟子の関係であればそこには、共に意識の通じ合える共感関係が生まれます。
その上に実生活での実践ができ、生きる術(すべ)を教えられることができるからです。
では、このようなことが現実の学校で、もし作れたならば、教師冥利に尽き、教師を目指した時の高き志が叶えられることとなります。
★そうした関係が、現在、教育の現場で創りえないかと言うとそうではないように思います。
それには、その場づくりが必要となります。その場として、ある時間を割くことは難しいことですので、もしあるとしたら、子どもとの係わりの中に有ります。
一日を考えてみてください。教室での教科の時間・休み時間・放課後のクラブ活動等、子どもとかかわることは、係わること、関わること、拘ることとして、日々のなかに長短であるにせよ、いろいろあると思うからです。この担当学級の生徒・児童との、こうした時こそ、自らとのコネクションを結ぶ時であり、場にするしかないかと思います。毎日何人に声掛できたかが大事になります。
その上で、勉強の動機づけ、また現実社会での生きていくための自分の体験を話す事です。
難しいことでなしに、その子を思う一言を言うことだと思います。
★近所の青年は、今でも小学校の先生が、自分のことを「――君は大器晩成型だね」と言われたことを自信としています。今でも、何かうまくいかなかったときに、このことを思い浮かべ「今に見ていろ」と思うと言います。 その時は、大器晩成の意味も分からず家族の人に解説してもらい理解したといいます。でもその時先生は、「今はできなくても、努力すれば、いつかできるから大丈夫」とのことで、この言葉を言ってくれたのだろうと、青年は言っていました。
先生の一言が一人の青年を変える力にもなれるのです。可児の中学校で有名な荒れた方が今では会社の課長で拾数人から慕われています。また中学で悪く高校を退学になりそうな子が、高校卒業後、会社で活躍していることを知っています。こうした方の一人が、6年ぐらい前に新人の教員研修で感動の体験をしました。人は誰に何を言われたかが人生を変えます。
子どもが、強く生き抜くことを決定できるのは、先生しかおりません。
★ 昔、江戸時代・「近江の国」(滋賀県高島市)の中江藤樹(儒学者・医学者・近江聖人)は、塾を開き多くの塾生を教えていました。
その中に武士の出身だが、生まれつき愚鈍(ぐどん)な「大野了佐」がいました。
医学を志していたが知能が低いため医学を教えることは、大変でありました。文書が読めない、読んでもすぐに忘れる。他の塾生からは疎んじられていました。藤樹は、精根尽きるほど同じことを何回も繰り返し教えましたが、呑み込みが遅いのです。でも、本人はあきらめないで通ってくる。藤樹は、了佐の分らないところを分析して、分かり易い教科書(6巻)をつくり、かんで含めるように教え込み、とうとう一人前の医者に育てました。
やがて、伊予(愛媛県宇和島市)の実家に帰り開業医となりました。
その後「尾関友庵」を名乗った有名な医学者となり、弟子まで育てたと言います。
「私は了佐の熱意に応じただけ」と藤樹は言ったと謂(いわ)れます。
★こうした心持ちについて、今年で16年間モスクワ大学の総長を務めているサドーヴ二チィ氏の著書では、「将来大きく成長するであろう可能性を信じる心」、「知識や行動すべてにおいて幾つか「必ず自分を超える」偉大な人物に成ると信ずる心」であり、児童生徒に学ぶ心が尊敬と信頼になるものと考えます。もしこの心が教師の中になければ、いかなる博学の講義も指導も、なべて教育の力とはなり得ないでしょう」と言っています。
★70歳半ばの私にも、人生を共にしてくれた恩師がいました。
私は、小学校5年頃になるまで、右手に障がいがあったことから、左手で字を書いていました。
特に川手の「わの字」が書き難いため諦め、皆から「ワぬけ」といじめられました。
私は、おとなしく、勉強もしない 何の取り得のない子であり、置いてきぼりになり易いのでした。
こうした何か苦手な子に男性の恩師は、30人程のクラスの数人を、ほとんど毎日、短時間・放課後、その事を分かり易く教えてくれました。できると大変誉めて下さいました。
誉めてもらったのはこの時が初めてでしたので、それが嬉しく、この時から少しずつ誉めてもらいたいために勉強しました。
いじめられても笑ってその場を逃げていたお前の顔が不憫であったからだとー。のちに聞きました。
恩師は、その内に教科の私が分らないことを適格にここが分らなかっただろうと言って教えてくれました。後で、お前達の顔を見ていれば分かったので、教科書に名をメモしたと言いました。
2年間お世話になりました。
★それから先生が亡くなるまでの50年余り、決して師恩を忘れず、田舎に帰るたびに報告に伺いました。
いつもいい報告し、誉めてもらいたいがゆえに、何を報告するかを考え、懸命に何かを残す事を心がけました。
大会社に入社・社で多くの特許取得で功績・議員になったこと・民間での初の保安制度である「子ども110番の家」の原案を全国初に警察に提案し採用されたこと(全国160万軒に広まったこと)・子ども特派員制度の「わくわく探偵団」提案のこと(市で11年間実施したこと)・60歳で「大学の法学部卒業」したこと、また63歳で大学編入し、社会教育主事の資格取得した等々を報告すると、いつも同じ言葉が「あのお前がなあーー。」「ほうか、ほうか」(そうか、そうかの方言)と聞いてくれるのが口癖で小学校の頃と同じように喜んでくれました。
でも一番喜んでくれたのは、子どものことと学校のことでした。
平成8年2月起こった東明小でのAちゃんの死(裏門にある・Aちゃん桜―健康桜―命の桜のこと)のことの解決に尽力させてもらったことを話したときのこと、当時新聞報道等で校長先生初め苦悩された担当先生、愛娘を亡くし悲しみのAちゃんの家族が、こうした悲しみから立ち直れ、皆こうしたことを契機に本当に良い方へ向かったことを話すと、自分のことのように涙を流して喜んでおられました。
こうした思い出日記が人生の「心の財」として残っています。 今の立場になってからのことは、
★ 本市が全国で最初に実施した「いじめの防止機関と条例のありよう」の骨格にはこうしたことを踏まえて、発足前に、持つべき柱としての精神の原案を市に提出させていただき、どのような機関とすべきかの「発足委員会の委員」として検討させていただいたものです。
教育現場でいろいろなことが起こるのは全て差異ある子ども達のことであるから当たり前です。
ましては、生まれて僅かな時しか、経てない人のことです。
何が起ころうが本当に誠意を尽くす事です。「松下幸之助」氏が言うように、本質は苦労の中にあるから買って、でもせよ」です。
★奥様に先立たれた独居の恩師は、亡くなる前に賀状に爪の間にとげが刺さり痛くてとあり――。早速、関市で「棘ぬき」を買って贈りました。
その後もまた便りで、家の庭で転んで足を悪くしたと言うので、今度 田舎に帰った時その石を取り除いて差し上げますと返信したことが、最後の便りとなりました。
教師を退職するまで偉くなったわけでもなく、真面目な人間味溢れた先生で終わったようでした。志は、持ち続けて初めて志と言えることを先生が自ら教えてくれました。
「恩師は、有りがたき人なり」です。
★皆さまも、自らこの教育の道で生きていく方々であります。
子どもたちと、どれだけ思い出を紡ぎ合うかでありましょう。
どうか「人生ドラマ」を子どもたちと、綴ってください。
★人権教育をいくら学んで、人権教育を体系づけ知っても、だれが会得するのか。会得する人がいなければ意味を為さないのです。
大事なことは、「いかに何のために今を為すのか」
「今子ども一人ひとりが何を悩んでいるか」、「どうしてあげることが今大事なのか」を注視し、本気で声をかけることが人権教育だと思っています。
ここにいらっしゃる教師の皆さま方はまだ若いし、これからそれができます。
子どもの先々を見つめ、今何ができるかを探してやって下さい。
★この1年間共に学んでいきたいと思います。よろしくお願いします。
★この文の後に、28年度の人権担当の先生がまとめた「人権教育実践資料」への講評依頼がありましたので、全小中学校に対しての感想を添付してあります。
僭越でした、これまで