2009年8月11日戦争は、最大の人権侵害である
あの1945年8月6日と9日が今年で64年目をむかえた。
忌まわしい原爆の日だ。広島・長崎の多くの人が一瞬に死んだ。これまで、国のためと言われながら多くの自らの 犠牲を強いて、必死に頑張ってきた子どもからお年寄りである。
「戦争ほど愚かなことはない、愚かな指導者の下の国民ほど虚しい者はない」のである。
それは、過去、第一次世界大戦後、国際連盟ができ、またその後も第2次世界大戦が勃発し、そしてまたこの反省を踏まえ国際連合ができ「国連憲章」と「世界人権宣言」等に託し基本的人権をもととする多くの平和的な条約が締結されたてきた。しかしいまだこの戦争は、終わらないからである。
それはどうしてであろうか、「戦争は、機械がロボット化して戦争を起こしているのではない。指導者達が決断して起こすのだ。指導者の人間的な命の迷いから発するからには、それに対し否といえる自律性あるマジョリィティーが問われるのである。このことを顕在化させていくことが、人権教育であり、生涯教育の原点である。」(ポール・ラングラン著:要旨より)よって、人が意志を持ち使用する核兵器は、「人の命を奪う奪命者であり、摩物の働きを持つが故に絶対悪であり、悪魔の産物である、それを使用する者も悪魔でありサタンの行為であることを世論として広めるべきである」(山本伸一著より)とあった。
このことは、より人間に潜む「憎悪の命」の究極を喝破し、その回避に向けた言葉として、心から感銘した。
また、広島・長崎市長は、先の米のオバマ大統領の核廃絶の演説に対して、歓迎を述べ「(オバマとマジョリティーをまとめ)オバマジョリティー(オバマに同意した大きい部分集合)となる」ことを宣言していた。これにも賛意である。
ともかくも「戦争は、最大の人権侵害」なのである。(y・k)