2009年8月22日子どもへの人権教育について話す
人権について話す。20日市内旭小で、話をさせて頂いた。先生方は、夏休みも研修で多忙である。真剣に聞いて頂き嬉しかった。昨年から学校等で人権の話をさせて頂いている。各校長の人柄と多くのご配慮にいつも感銘しています。
人権教育の究極は「人間的感覚を大きく広げること」即ち「人格を磨き上げる資質を身につけること」にあると先哲がいう。
この日は、約2時間の中、この感性を磨くことの例を多くして話をさせて頂いた。
- 人権とは「人間が人間らしく幸せに生きていくための権利である」から学校での人権教育は、如何に子どもたちを幸せの方向に導いて上げるかである。
- 幸せとは何かである。相対的には、地位・権力・金銭等による幸せである。これは、一時的な幸せであり、永久に続くとは限らない。では、絶対的な幸せとは何かである。
- それは、何事が起こっても、自らそれに負けない境涯づくりであろう。
- 学校での子どもへの人権教育は、こうして見ると権力・地位等には、子どもは関係ないことから、絶対的な幸せをめざす教育ということになる。すなわち苦しいこと、悲しいこと等から逃げず負けないで立ち上がる気質を育てるにある。
- このためには、先生自身が、このようになろうとの気概の上でこどもと接することが大事となる。
- 人権教育の理想は、「先生が教育環境である」からである。とは言え若い先生方が多いのであるから、いかにするかである。教科以外の本、情報に意識・注視してよく会得して体験を多く積むしかない。「多く積んだ人が人権教育できる人である」その間の難しいことは、独りで解決しようと思わないことである。できるだけ経験豊かな上司等先輩に相談しながら進めることである。
次に子どもへの人権の平等感である。
一般に平等とは、人それどれに等しく同量に分け隔てなく分配することである。
しかし人権での平等は、物を分与することでない。ぬくもりある心からの行動であり、言動であり、思い(人権行動の身口意の3要素)なのであるからこれを等しく分けるわけにはいかない。では、その基準は何かである。これは、「今一番困っている子、苦しみ悲しんでいる子を第一に、見つけ対応すること」尽力すること、できるだけ子ども達と相談して共に解決を図ることが人権教育の実践である。そのことにより、クラス全体の中に先生の努力が、子どもたちの心に伝わりクラス全体が、向上の方向に動き出すものである。
(米ハーバード大学医学部研究報告から)
他幾つかの例を話させて頂いた。最後に若き俊英の先生(6年生担任の男性)にご決意を聞かせてもらい嬉しかった。「決意は、心の決定(けつじょう)であり80%できたに等しい」との先哲の言葉を思い浮かべた。校長.教頭・担当の先生に感謝して。(y・k)