2009年10月10日閉塞感と文化を考える
文化の秋である。
世間は、閉塞感が、ぬぐえないでいる。それは文化の減退にあるのではないか思う。文化は、閉塞感を取り払う源泉であるからである。それは、文化のもつ淵源性にあるように思う。
「文化の隆盛は、人心を鼓舞するのであり、決して閉塞感とはならない」
世界同時不況で生活の不安を、何かと人心の閉塞感として指摘する声が多い。
閉塞感がありとすれば、果たして不況がそうさせているのだろうか?
作家の高任和夫氏は、言う。「江戸中期の天明年間の大飢饉は、奥州で200万人餓死し米騒動も起きた、また浅間山が大噴火して江戸の町も混乱した。
しかしその時代は、歌舞伎は、繁盛し、狂言、浮世絵、川柳、講談、長唄等は、この時代の産物となった。さらに俳諧では与謝野蕪村や加賀千代女がでたし、小説では、上田秋成絵画だは、丸山応挙、大雅堂、平賀源内の奇才も出た。学問では、加茂真淵、本居宣長、杉田玄白が現れ、江戸時代に最も藩校も多く出たという。
ゆえに、この時代には、人心の閉塞感は起こっていなかったと見るべきである。
よって、閉塞感の原因は、経済や政治の状況にもよるが、一番は文化の弱体化ないし欠如ではないか」(作家:高任和夫氏より)と言う。
文化の興隆の中にあっては、人は閉塞感にとらわれない豊かさを感じるのである。
文化こそ大事に守り育てなければ、興廃が発生したならば、その修復の努力はいかばかりかと思うのである。
文化こそ人心の豊かさの源であり、人権と一体不二なのである。(y・k)