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「化石の宝庫」を「ぬくもりの宝庫」に

 可児市は、「化石の宝庫」だと地質学者・考古生物学者から言われている。
 この度の1月11日に、本市、下切地区の可児川の河川敷から、大型哺乳動物の足跡の化石が見つかったと発表があった。
 足跡の広さは、日本一とのこと。
 この地層は、可児市の平牧地区の名をとり、「平牧累層」で、約1800万年の地層といわれて大きな湖があり、動物たちの水のみ場でアシ類も生える、湿地帯もあったといわれている。
 いわゆる「動物と生物の融合のオアシス」の様であった。

学者の間では、以前から、日本で初めて、この地層からでた化石を「カニサイ」、「ヒラマキウマ」・「ミノシカ」・「アネクテンスゾウ」・「カニオヤニラミ」(魚)等の地名が付いていて、知らない人はいない程有名であるという。

こうした哺乳類誕生は、世界的には約1億3000万年~6500万年の白亜紀と言われている。誕生からするとこの化石は、新しいこととなる。

人間の祖先の霊長類も、約1億3000万年~6500万年に誕生といわれる。しかし2本足で歩くようになったのは、約400万年前で、北京原人となると約160万~150万年前とのこと。
 現生人類と変わりない特徴を待った人類の「新人」は、約2万~1万年前で、日本の縄文・弥生人である。今とほとんど同じ文化・技術の先駈けのことをやって今に至っているのである。この度の化石の時代には、我々の先祖は居なく、それから約1800年後に、祖先は、住み着いたことになる。
 ともかく気の遠くなることが、いま甦っている。「古代のロマン」といわれる由縁であろう。

 人間の誕生のはるか昔に、多くの生物が誕生して、それぞれが生きる道を模索しながら進化・淘汰してきている。そこには、自然の摂理としての「共生のメカニズム」ができあがってきたのであろう。それを人間は、進化といって思うままに壊したのである。

 今、生物多様性が叫ばれている。人間以外のたくさんの「生きとし生るもの」たちは、「われわれの狂うほどの怒りが、やっと解ってくれたか」と思っているかもしれない。

 人類が誕生した当時は、地球は未だ平穏無事で生物間には、大きな争うことはなく循環社会として、平和であったことであろう。

 『生物多様性とは、すべての生物間の変異性(どのようにでも種類が変わる自由も守り)、種内の多様性(その生物のどの種類も守り)、そしてすべての生き物の多様性とそれらが共有しあう「空気・水・土などの生物以外のものたち」との係りのまとまりである生態系の多様性(あらゆる生物の生きる権利を守り)を守ることをいい、こうすることで人間も永く守られるということなのである。』

 こう考えると、生物としての人間もまた、他の動物・微生物等と同じであり、人間が人間同士で闘い勝ち得てきた人権の歴史も同じ流れであることに気がつく。
 このことを守らないと、生きていけないことを、ホモ・サビエンス(知性あるヒト)と勝手に名づけて地球に君臨してきた歴史の認識を変える時代に入ったのかも知れない。これを人類の歴史の端緒としていくことが、未だ現存する人間と人間の中にある悲しい差別・偏見等を払拭する契機となるように思う。
 この「化石の宝庫」の可児こそ、人間らしめる「ぬくもりの宝庫」でなくてはならない。(y・k)