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ホーム活動報告

勝負の時が始まった!

 高校・大学の入試もほぼ終わり、パラリンピックも感動の中、閉会した。
春の高校野球が、始まった。プロ野球も開幕した。
事象は、次から次へと展開する。
いつの時も、誰かが、どこかで戦っている。
 
また「人は、皆、日常が戦場である」と先哲は言う。
戦いには、その時の勝敗で決まるものが多い。戦うことに意味があるのである。

「人生は、その人の最終章が勝負である」最後に勝つ人生が「誉の人生」であろう。

「途中の勝ち負けは、知識と経験の糧に過ぎない」
 だから勝っても「勝って兜の緒を締めよ」であり謙虚さがなくなり、傲慢であれば、いつかしっぺ返しを食らうこととなる。
最後に勝つためには、その人の歩んできたアプローチが大事である。
 「真剣に励んできた人は、知性が輝き、人格も磨かれ、人間性豊かになれる」ことだろう。

しかし、「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」とも言う。
人生、明日のわが身は誰にも判らず、本人にも判らないのだから、いかようにすべきかである。

それには、言うことがある。
「いい加減な生活をして、生きた人生に結果が良くなるわけがない」ことだけは誰でもわかることである。

「何時も、臨場感を持って物事に当たるぐらい思慮を尽くして、往くならば、くっきりとその勝敗の因が見えてくる」かもしれない。

負けても敗因がわかれば、次は勝てるのである。
「勝ちに不思議の勝ちあり」とて、その勝った本人は判らずとも、その人の努力と誠実を尽くした結果が、考えもしない勝ちを牽き付けるからであろう。これが、ラッキーなのである。

ともかく、人生の道中には、勝ち負けがあったとしても、「勝つ意味もあり、負ける意味もある」のだ。
 勝った人が直ぐだめになり、負けたことが、返って良かったこともあるのが、また人生なのだ。

何があっても、「勝負に負けても人生に負けない」ことである。(y・k)