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ホーム活動報告

人権は実践である!

この度、可児市教育委員会の「人権同和教育推進委員会」学校人権同和部会の先生方による実践資料集を届けていただいた。

同会とは、本センターは、共に人権教育のありようにつき研鑽してきている。21年度の人権教育の実践を通してのまとめである。
良く読ませていただいたので、このことをコメントさせていただく。

1、総括的な思い

・ 初めに、毎年こうした 成果集を、永年に亘り実践集として編集されていることに敬意を申し上げます。
・ 「人権は、理論でなく実践なり」とは、人道の闘士でノーベル平和賞受賞者のエスキベル博士の言葉であり、ゆえに正に珠玉の人権資料であります。

・ 特に、16名の推進委員の授業実践報告には、児童生徒との係わりが手に取るように、判ります。考察・「成果と今後の課題」には、先生自身の確信が、散りばめられていて年間に培われた人権の意識の高揚が見て取れるようです。
エスキベルが言われるように、「人権教育は、模倣でなく、真剣勝負の中にある」と言われていることも納得です。

・ 児童生徒の持つ人間として、教えなくても持つ人間観をどう掘り起こしていくのかは、教師自身にあります。「人権教育の環境は、自ら自身である」との先哲の言葉も判る気がしました。
・ 「人権は、理屈ではない」といわれても、道徳教育を進めている上から、これで良いのか等疑問を持つことは力になりませんし、また道徳は、人権教育なのかの問い合わせもありましたので、この点を以前の拙筆を紐解きお話します

2、人権教育と道徳教育の違い

・ 大野委員長が、本誌の「はじめに」書かれております「人権同和教育は、全教育活動を通しておこなうべきであり、授業以外にも日常の生活の多くの場で推進されなくてはなりません」と述べております。これは、大事な点であると思います。

・ この点から、考察するに道徳教育は、「道徳のための教育でなしに、教育のための道徳である」
のです。感情の違う一人一人の生徒児童を育むために、どうするのかが問われるということです。
10人いたら10通りの教育プログラムが必要になってきます。そんなことは、物理的にできません
ので、OJT的な方法が、大事になります。

・ それを可能にするには、教師自身が人生で得た道徳観・倫理観等の道理が素とになります。
このことは、教師としての、当然の資質として求められます。
教師自身の道理が、生徒児童の道理となり易いわけです。

・ ここまでで良いということも無い代わりに、今持っているすべてを、駆使して当ることが、教師の使命であると思います。自信を持ってやることです。

★ このように観てきますと、「人権教育とて、道徳教育であろうが、別にあらず、ただ教師の胸のうちにある」ことだといえます。
よって道徳教育と人権教育は、共に人が人間性を教えるのでありベクトルの中にあるといえます。
(江戸時代に、中江藤樹が、塾生の大野了佐に施した教育は、他の塾生よりのみこみがわるいことから、了佐に合う教育を考え教えたといいます。やがてこの大野は、名医の尾崎友庵となったと言われます)
では、ここでその違いの比較を私なりに纏めましたので記させてもらいます。

項目道徳教育人権教育
制定学習指導要綱(責務権利)憲法・法律(法的権利
評価相対的(文化により異なる)絶対的(どの国でも同じ)
体系禁止(してはならない)命令(国が国民への約束)
究極日常円満に生活するには幸福に生活するには
方法多数教育多様教育(個々教育)
平等一般的平等個の平等
ベクトル内に向かう(自ら守る)外に向かう(自らを守らせる)

以上