2010年6月10日目的までの道程の大事さ!
情報社会の進展は、すさまじい。
先日も電子本として画期的のツールが発売された。
手頃に、読みたい時に読みたい本を読めるという便利さが受けているらしい。
よく考えるとき、人生ほしいものを、ほしい時に得られることは少ない。得るためには、汗と涙の努力をしないと成就しない。
「成り事には、何事にも汗涙が流れている」のである。
それでもその結果は、厳しいのである。
直ぐ得たいものが、そこにあれば、人は思索をしなくなる。
「思索とは、訓練なのだ」
ある人は、その時間を別の時間に費やせると言ても別の思索訓練があったとしても、失われる物の方が多いように感じた。
「不自由な人のための便利を思索するのは、より価値的である」が、「人の思考のあるべき領域に便利さは、不要な感じさえする」
人は、欲しいと言う欲望を先ず頭に描き、それをやるためにはどうするかを考える。
そして、「その達成する間の努力の余韻が、その人を育てる因となってはいないだろうか」「達するまでの、思索こそが、人の知恵を育てはしまいか」
「人は、創造の動物である」と、先哲の言うことがわかる。
「便利よりも、吟味する余韻のある道程が人には必要ではないだろうか」と思う。
ここに添付の1枚の版画がある。この題を、いかに表現するかは、10人10色であろう。この絵のように、いかにインパクトある表現に描写するかは、その人に、天分があったとしても、その天分の因は、その人の感覚であり努力に堪えられる能力が、日々の中で育まれていたと見るべきである。
あのエジソンでさえ、
「天才は99パーセントの努力と1パーセントの霊感である」
「またその1パーセントの霊感がなければ努力も無駄である」と言う。
その1パーセントの感性さえ、日々の中で生まれ育つことを忘れてはならないのではないだろうか。(y・k)