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ホーム活動報告

「対話のまちづくり」について

人と人とは、会話により繋がっている。
会話せず、相手の顔色と態度だけでは、全てはわからない。
今何を考えているかは、話をしてみて初めて合点して、「何だそうだったのか」と、心の痞え(つかえ)がとれる。

「自分も人間、相手も人間共に生きている、心を開き境涯の深みの中で対話すれば解決できないことはない」(ソクラテス)と言う。

まちに住む人も人間、行政を司る職員も人間である。
一般市民は、それぞれの社会で、働いているので、社会の安寧のための、社会秩序の運営をやることができない。
そのために、職員に税を払い代わりにやってもらっているのである。

だから、互いに勝手に言ったり、やったりしてはならないのである。
互いのニ-ズの交互作用により、共にうまく運営でき向上できる方途に知恵を出し合うことだ。
これには、対話である。
 携わる職員と議員がもっと現場の声を聴き歩き、市民の声の実態把握して、自得等でない「大局観の高みの対話」による事業の提案をし合うことだ。

「対話力は、相互のコミュニケーションを通して個人の卓越した才能を、最大の可能性へと引き出す技術である」(近藤直樹著)

両者の意見対立があろうとも、絶対に「うそ」を言わないで、その大局観での話しの真実を対話することである。

「どんな複雑で解決が困難だと思われる問題でも、オープンな対話を繰り返していくことで解決を導くことができる」のである。その力量を鍛えることである。

あの幕末の「坂本竜馬」の功は、この高みの志を対話としたから成し得たのだ。

いかに、立派なまちづくりとて、今死にそうな人を助けられないのならば「無用のまちづくり」なのである。
制度があっても、一番困っている市民を助けられない福祉制度は体をなさない。
如何に制度を、有用できるかは、一番熟知している職員の知恵であり、その調整の独自性を制度化することであり、その裁量を持つ権限がタスクである。

こうした人間主義の行政が、今必要とされているのである。
これに呼応した、「人権尊重の視点」として「第4次総合計画」の柱としたのは、最高の極みである。(y・k)