2011年2月7日「子どものいじめ」と大人の関係
先々だが、12月4日 本センターの「ぬくもり講演会」に「夜回り先生」で有名な水谷修氏に是非ともご講演をと思いのメールをして、内諾をいただいた。
水谷氏の著書を読み、いじめ問題の「奥底にあるものの理解をされている人はこの方置いていない」と思ったからである。
「子どもは、夫婦の営みで生まれる。
その夫婦もそれぞれの父母の中で生まれでた。
人は、連綿と続いてきた家系の中の一人とてして生まれる。
子は、夫婦の両方のDNAを内面に持ちながら生まれる」
生まれる側から見れば、「生まれた親も分からない。生まれた家もどんな家か分からない。兄弟のいることも分からない。ましては自分が五体満足かもわからない。知能が正常であることも分からない。才能が何かも分からない」分からないずくしで生まれるのである。
なにも好き好んでこの親・家・国に生まれてきたのはない。
初めから、世界約69億2450万分の1それぞれみな違いがあって当たり前の親の子として、両親との違いを持って生まれ出る。
水谷先生は、≪「この家と親のもとで生まれきたときに」―――。
「将来、親を悲しませてやれ! 人をいじめてやれ! 人を傷つけてやれ!殺してやれ!薬物を使ってやれ! リストカットをしてやれ! 死んでやれ!と考えて生まれてくる赤ちゃんはだれ一人いない」
どの子も目をキラキラと輝かせながら「お父さん・お母さん・大人たち、うまれてきたよ。幸せにしてね!と真っ白な心で生まれてきたはずです」≫と言う。(子育てのツボ:日本評論社)
「その子の無垢の白い心に、いろんな色付け(資質を付け)をし育むのは、大人たちである」
両親家庭・地域社会(メディア含む)・学校により資質付け(倫理・道徳等)され人として形成される。
良きものもいて、悪きものもいる。
悪しき性格は、悪き瞬間のケアーを放置したから根付いたのである。
特に悪きものに、追い込む元凶は、私たち大人達また、社会の在り方が大方、間違った方向に行っているからである。
水谷修先生は、言う。≪悪の子どもたちを責めることは簡単です。
しかし子ども達は、そのように育てられてしまった被害者ではないでしょうか。
悩みきった社会を素直にそのまま写し込み成長した哀しい子どもたちの姿が社会に映し出しているのではないでしょうか≫と。(同著)
何があっても、先々ある子どもたちである、多くの手立てを駆使してでも育てることである。
「子どもを育てる一番の責任は、その子の親の権利と義務」なのです。
(子供の権利条約・第5条)
個としての子どもの人権を親として温かく育んで行ってほしいものです。(y・k)