2011年6月30日師(相談者)について
人の人生も、いろいろである。
良い時もあり、悪い時もある。
困った時もあり、うれしい時もある。
こんな時に、なんでも話しを聞いてくれる人がほしいものだ。
何を話しても快く聞いてくれる人は少ないものだ。
うれしいことを、自分のことのように喜んでくれる人が、いるといい。
人は、何かの縁で出会い、その縁を深く高めて
やがて信頼の絆のある人となる。
人は、口先だけでは希薄となる。
志が大事である。
小さな、志の互いの交換ができる友であれば友情となる。
学校であれば、永き金糸で繋がる恩師でもある。
田舎に帰る、年に一度会うか会わぬかの先生がいた。
何から何まで、無垢に喜んでくれる小学校の恩師である。
「お前がなあーー。」「よくがんばったなあ」と喜ぶ恩師に
再び会う時にまた、もっとよい報告できるようにと思ったものである。
今は亡き恩師の命日の今日、お花をお送りしながら、ふと思い、今の自分の存在していることに感謝してますと。
その後も、多くの友がいる。
自分があるのは多くの人との縁によるもの
見え隠れする忘れた縁に助けられてである。
「このことを思い違え、自分だけで偉くなったと勘違いして、普段に増して未頓着になり、息詰まった時に、にわかづくりの人に援助を求めても利用の中での貸し借りに過ぎなくなり、末路は哀れさとなって消えていくしかないのである」
人は、最終章がどうであるかがその人の生きた証(あかし)なのである。
若き人・中年の人の良いことも悪いことも今は、全て途中なのであるから、決して裏切らない生涯の相談者の師を持てるかがその人の生涯を決めていくのだと思う。(y・k)