2011年9月8日物事には、中庸がある!
増税論議が盛んになってきている。
人権と増税との関係に不思議なことがある。
人間が人として「正しいこと大切なこと」言われることが、世の中全体から見ると、そのベクトル(方向とそれに沿う力)が違うことがあることに気がついた。
いわゆる「善が悪に成ることもある」と言うことだ。
それを考え悩んだのは、あの3・11の災害の時であった。
でも、その時には、とても言えることでなかった、途轍もない悲惨状況であったからだ。
世の中の景気が少し上向きかけた時に、この災害が発生した。
人は、被災者の困窮の姿を見ながら、自らの贅沢を見直し、被災者への仕送り・またボランティアへと走った。自分もそうした。
日本人の誇るべき姿であり、このことは人として当然であることだ。
困っている人を助けることは、人権的に大切なことであるからだ。
しかし世の中は、皮肉なもので、人びとは、震災者の事を思いながら、心優しく「贅沢の自粛」に走ってしまい、デフレ経済を加速させてしまった。
自粛が全てにわたったため観光・スポーツ・趣味等の我慢できる分野まで節約が浸透してしまったのだ。「小さな悪」になってしまったのである。
この結果、経済は、やっと上向いたが急降下して購買力が落ちてしまった。
結局、震災の復興を遅らせる結果に成り、増税論が生まれてきているのである。
経済には、「小さな善が大きな悪となることもある」と言うことを教えてくれた。
逆に、震災を無視して、人間としての道徳心をなくして、贅沢を多くの人がして日本経済を上向きにさせ震災復興も速やかにやれる状況ができていたとしたら、「大きな善」となったかもしれないと思った。
このように経済現象が、人間の善悪の判断を違わすことがあるのである。
こうした時の指揮は、速やかに震災時に、やって良いことのレベルの「すみ分け」に気を使い采配を振るうのが政治家の役目なのである。こうした所の判断が生き届かなかった故、更に悪化を加速させたのである。
多くの支援の心の全てを国民に任せたのが良くなかったのだ。
普通に市民は、人間的に「小さな善が徐々に大きくなると大きな善に成る」、このことへの対応の方が、生きる上で普遍的であり、道理的であると思うのである。
この道理を堅持する配慮が全くなく、逆に被災地からの悲痛の叫びとして、経済リターンが始まったという皮肉さが起こったのだ。
物事には、中国の孔子の言う「中庸」と言う考え方がある。
孔子は、「物事は、何につけても、考え方や行動が極端に成らず、調和の精神が、しいては永続的となり良い方向となる」と言うのである。
このことの方が最も大事なことではないかと思う。(y・k)