2011年11月4日兼山小から菊花いただく!
可児市には、森蘭丸の生誕地の古城山の中腹に兼山小がある。
仲の良い子どもたち100名程の学校である。
菊花香る晩秋のよき日、長谷川校長先生がわざわざ本センターに3大輪の菊の 鉢植えを届けてくれた。
3年生10名の子どもたちと共に丹精込めて7月から育ててきたという。
こんなに嬉しいことはない。
鉢には、育み担当の志村君が、短冊に言葉を添えてあった。
『太陽に向かって伸びる菊の花』とある。
希望あふれる心に染み入る言葉で、よりいっそう花を添えてくれた。
嬉しい自信の笑顔が浮かんでくる。きっと立派な人となろう。
「花木を植えることは、命を育むこと」とは、インドのタゴールまたケニアのマータイの信条であった。
このことは、人間の育みで一番大事なこととして人権啓発の要でもある。
このことを校長先生は、次のような要旨で言い当ててくれた。「菊は、半年でその一生をおえる。
人間はそれに比べると100倍以上のスピードで幼少青壮老期を過ごすこと。給水しないと枯れたり、肥料を施さないと大きくなれないこと。菊も人間も生きていくのに、水や食料が必要なこと。
支柱がないと曲がって醜い姿となること。大輪の花を咲かせるには、「わき芽」をつまむ必要があること。
「わき芽」とは、「わき道」でありよくない行動にエネルギーを使っていては夢の実現はできないこと。
自分より遅く生まれてきた菊が、速く成長し一生を終えていくこの移ろいの変化を子どもたちに考えさせることであった。」と、そして「菊を育てることは自分が育つことにつながる」ことを教えたかったと話されていた。
大事なことは、「菊の花が咲くまでの過程での子どもたちとの関わりでの感性を大切にしていくこと」とのことであった。
近代教育の父とよばれたペスタロッチは、「教育は、感情を育てずして教育にあらず」と言い「情のない教育は、押し売りみたいなもの」と言い「直感教授」(育でなく授)を提唱した。
まさに校長先生は、ペスタロッチの心そのもののお人であろう。
校庭の落ち葉は、肥料として使い地域の人のお手伝いも子ども達にとり良かったとーー。感謝されていた。
連なるぬくもりが尊いのである。
人間性(humanity)の語源は、ラテン語のhumus=腐植土が語源である。
他人のために自らの得た利益を施すことをいうのである。
きっと子どもたちは、大きく成ったとき先生を思い浮かべ師恩を感じるであろう。
またこのときに共に冥利に溢れた幸せのシンフォニーを響かせることとなろう。
今、部屋中に菊の香りがしている。明日から廊下に出して、ここの皆さんで秋を愛でて
もらおうと思う。多謝合掌。(y・k)