2011年11月17日(市)人権同和委員会が開かれ話される!
11月15日に可児市の公立小中学校の「人権同和教育推進委員会」が教育研究所で開かれました。
本センター局長が、招かれて講話をさせていただきました。
常頃、本センターとの関わりを持って、事業の一端を担っていただき、子どもたちのぬくもりある育みをしていただいています。
この日も、日頃の感謝と共に7月から9月にかけての標語・300字小説の応募者全員と入賞者への記念品と入賞者への図書券・ぬくもりカレンダー等をお渡ししまししました。
局長の講話は、「教師をやっていて良かったことの冥利について」の話をしました。
その要旨は次の通りです。
- 中国の戦国時代の末期に「荀子」と言う儒学者がいた。同時代の孟子の説く性善説に対して性悪説を唱えた人である。
- 荀子は、「人は生まれながらにして、欲望の中で生きているので、学問の育みにより、人間性が生まれる」と説いた。
- 孟子の「気付き」ではなく、「育み」を重視していて育む分だけ成長できるとした。いわゆる教師の持つ気構えといえる。
- 荀子は、「従藍爾青」(じゅうらんにしょう)の原理を説いた。「藍(あい)よりして、而も(しかも)青し」 と読み「藍の色は、葉の時よりも染めれば染めるほどいよいよ青くなる」と言うことである。
- 教師が、子どもたちが、自分以上に立派な人となれるよう懸命に育むとき、やがて子どもたちが大きくなり立派な大人となった時に「あの先生のおかげで今がある」との師恩を感じてくれ、なおも慕ってくれている、その姿があるときが「教師冥利に尽きる」ときだといえるのである。
- よく「出藍の誉れ」とか「青藍の誉れ」と言い、「弟子が教師よりも勝っていくこと」を言うが、実はこのことが、教師として一番うれしいことではないのではないだろうか。
教師冥利とは、このことである。 - その上で、キリギス共和国作家のアイトマートフ作の「最初の教師」のあらすじを話した。
- 知識や学力が無くとも熱意があれば社会に貢献できる。この精神で学問が無いのに村に学校を作り村人の嘲笑と偏見の中で自ら教師として献身的に活躍する人物とその教え子で後に「ロシアアカデミー会員」となる博士の物語である。
- 名もない村で名もない教師が名もない貧しい少女との師弟愛を通した物語である。
- 少女を励まそうと、丘の上にポプラの木を2本植えこの木が大きくなった時、お前も大きな人間となれる。それを信じているとーーー。やがて時はめぐり、大樹と育ったポプラの丘のある村に新しい学校が建てられ、その時の少女は、著名の大学者となって学校の開校式に招かれた。
- あの「最初の教師」は、どうしているだろうか。戦争で再会もできなく心配していた。その時何とか間に合うように祝電を届けに馬を走らせてきた一人の老人がいた。
- その人こそ、「最初の教師」であった。村人は、この時も嘲笑い、小馬鹿にした。この時、その彼女が、村人に強く問う。「平凡な人間を心から尊敬する能力を、私たちはいつ失なったのでしょうか」と。
- そしてその学校の名を自分の恩師の村の隠れた恩人である、この老人の名を取り「最初の教師ジュイシェンの学校」としたのである。
★講話を終えてから、数人の先生が本センターに来られて、決意を述べてくれたことを
局長は、本当にうれしそうであった。(m・h)