2012年3月1日幸せの「青い鳥」のこと
私的で恐縮だが、先日、大学の社会教育学の先生からメールをいただいた。
母校の春の訪れの様子が目に浮かぶように書かれていた。
その中に瑠璃鵜(ルリビタキ)と言う幸せの「青い鳥」を見つけてラッキーであったとあった。特にこの鳥のオスを見つけたと書かれていた。
冬を低地で過ごし温かくなると高山帯に帰ると言う小さな鳥で、特にオスは、羽はコバルトブルーで胸毛はオレンジのまだらでつぶらな瞳が可愛らしいとあった。
索引して見るとまさに、メーテルリンクの青い鳥のモデルかと思うような、いかにも福々しさが有り凛々しさのある鳥であった。
ベルギーの戯曲家であるメーテルリンクの青い鳥のことを今の若い人に聞くと、TBSドラマの青い鳥のことと勘違いする。
昔読んだ戯曲を思い出す。長い何幕もの夢物語である。
メーテルリンクは、この戯曲で、何を命題としたかったかである。
それは、
なぜ人は「死ぬのか、生きるのか」「幸せとはなにか」の意味が、自分の外にあるのではなく、すべて自分の中に内在して生活の多くのことに触発され、人生の辛苦愛別となる。
このことを、「思い出の国」「夜の国」「森の国」「墓の国」「幸福の国」「未来の国」と言うように場面々々にして著したのである。最後に探しあぐねた結果自分の家の鳥がその青い鳥であることに気づく。
幸せは、遠くにあるのでなく近くにあり、しかも自分の中にあることを知ったので、最終章では、その鳥さえ逃げて行ってしまう。それは、チルチル・ミチルが自分の心の中にいたことに気ずいたのだから、もうこの思いは要らなく、大きく成長し羽ばたいたことを意味している。
全体をこの「青い鳥」を通していかに幸せを他に求めてもなし得ないことを、人生模様に例えたのである。
子ども達に分かりやすくするためにチルチルとミチルを配していろんな国を冒険し、人の一生の個々のありようを分かり易く著しているのである。
この本は、本センターが小学校への巡回している人権本の一番人気の本である。
この上無い嬉しいことである。(y・k)