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「中日新聞」社説への賛意!

  先ず、早く9月12日付けの中日新聞社説「嵐に鳴く蟋蟀(こうろぎ)のように」を読んでください。
最近味あうことのない心の高揚感を持ったからです。
 そこには、公器たる新聞の原点のありようについて、あえて現代の内閣のやりように不安感を持つ理由を上げながら、明治から昭和で健筆を振るった大先輩である主筆「桐生悠々」を例にして、権力の弾圧にも負けず、政治家・官僚・軍部の横暴を痛撃に批判し貫いた姿勢を上げて、中日新聞の原点として、今後も権力と対峙していくとの雄叫びが書かれていたからです。
 そもそも、今の内閣が進めようとしている「憲法改正の法案」の内容が、戦争を想起させ、その後の言動ベクトルが正にその方向に向っていることを指摘しています。(以下筆者思考)
 今日の何か危なっかしい浮き足っぽさが、ドイツの「あの政権」時に似ているからです。
 当時、その国民全体が内閣は、オ―ルマイティだと信じている内に、可逆できなく世にも恐ろしい罪を国民全員が犯したのでした。「ドイツと同じように、知らぬ間にそうしてしまえ」と先日辛くも行った大臣がいましたが、小会合だけに本音と取られても仕方がないのです。今の戦争を知らない内閣の動きに戦争方向へのきな臭さがして、胸騒ぎをするのです。
 やることが何か何でもできる得意になった少年のように思えるからです。今の子どもと同じゲーム感覚の感じに思われて仕方ないのです。言い過ぎでしょうか。
 こうした時、同様な思いを持ち、今日の様相に鋭利に反応した公器である新聞社が有ったことが「平和こそ人権の礎」と意を持つ当センターとして、拍手喝采なのです。
 争を想起させ、それを利用して国民感情をその方に向け高揚させ、安静化コントロールすることが、今流行のように他国等でも使われているが、武器にしてはなりません。そんな対応をしていても安直過ぎて永く持たないのです。根本解決でないので、またすぐに他の問題が覆いかぶさるからです。結局、根本の国民の心を纏めて切れないからです。
 国力を強くするとは何ですか。どんな国を標榜しているのですか。
 国を強くすることは、国民の生きる力を強くすることです。そのためには、人権の尊重が本当にすべてに亘り網羅した国づくりが必要なのです。
視点を変えてみたらいかがですか。国を強くして世界で威張って見たって、仕方のないことです。

 大国がいい例です。威張ってみたいのは、仕切っている権力者だけなのです。この人たちの欲望を満たすわけには国民は、いかないのです。すぐに、しっぺ返しを食うだけですからーーー。
 そんなに安直にことは運ばないです。
 平和な日本に軍隊などと言うと一般隊員はやめてしまい、結局は徴兵制をしかざるを得なくなるのです。他国は、みんなそうしているのです。それに賛成する人がいるとでも思っているのでしょうか。
 シリアへの攻撃と騒いでいたアメリカを立ち止めたのも世論であり、その方向にロシアの仲裁案が有ったのです。英知を使い悲惨な殺し合いはやめることです。子どもや母親が一番苦しみ悲しむのです。メンツなどでやらないでください。下らないことだからです。
 一昨年の本センターの募集の「300字小説」の中学生の最優秀作品の内容は、隣の国と戦争をしている国王の息子が国を継がずに反対を押し切りパン屋になり、隣国の人達にもパンを焼き配り続けたのです。敵国は、感動して戦争が終わりました。息子は、国王に言いました。「力だけでは、国を守ることはできないよ」と言った。という物語を自作してくれました。この通りなのです。人間外交こそ、無駄な金を使わず共に繁栄できるのです。
 仲良くする方法は、こうした小中学生から聞いたら勉強になると思います。そう言えばあの国のあの人が台頭した時も第11回オリンピックの自国開催があり国民は湧いていました。この間にああなったのです。
 これらの懸念なしに、すべてのことが安穏な良き方向に推移するよう祈っています。
 しかし、こうしたことを鑑みた、この度の公器たる使命の雄叫びに、付和雷同の浮かれた世論に一石を投じたと思うからです。 自らの見地を明らかに公言した社説に驚嘆し、感動を覚えました。
  いつものように、夜のはざま、コオロギの鳴き声を聞きながら書いておきました。(y・k)