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ホームイラストギャラリーぬくもり教室(人権教室)

僕が、ランドセルの傷をつけてしまいました!

自作挿画(「愛知県・道徳教科書」を参考)<H25年度実施>

ある雨上がりの日の出来事です。
授業が終わり、集団登校で8人位で近所の友だちで家に帰っていた時のことです。
持っていた「かさ」でワイワイと追いかけっこをしながら、ふざけ合っていました。

すると僕の「かさ」が前を歩いていた、「みほちゃん」のランドセルに当たってしまいました。
大きなかすり傷がついてしまいました。
「みほちゃん」やまわりの子も、大騒ぎしていたので、気付かなかったようだったです。

次の日、学校の朝の会で先生が、言いました。
「きのう、学校帰って見たら、「みほちゃん」のランドセルに大きな傷がついていたそうですが、だれがやったか知っている人はいませんか?」

僕は、ドキッとしました。「みほちゃん」は、かなしそうな顔をしていました。
「本当に誰も知らないんですね」先生の言葉に僕の心は、やぶれそうでした。手をあげようかどうしようかと心の中は、パニックになりました。

どうしても手をあげることは、出来ません。その後も、今日こそあやまろうと何度も「みほちゃん」に声をかけようとしたが、勇気が出ません。

夏休みにはいりました。

夏休みの出校日、先生が言いました。「みなさん!突然ですが、みほさんが、2学期から名古屋の学校に転校することになりました。」クラスのみんながさわがしくなり、「みんあ、なかよくしてくれてありがとう。」と「みほちゃん」はにこにこしながら、挨拶をしました。

「あやまるのは、今しか無い!」僕の頭は、あの時のランドセルのことで一杯となった。皆のお別れの言葉が、全く桃に入らなくなった。

とうとう木の順番が来た。「みほちゃんのランドセルに傷をつけたのは、ぼーーぼくです!。あの日の帰り道で僕の かさ で傷つけてしまいました!
今まで言おうと思っていたが言えなくてごめんなさい!」叫んだ僕の顔からは、次から次へと涙があふれてきました。

<感想>

人は、永い人生で、大小の過ち(過失)を侵すことは、有ります。
まして、この文のように、したくてやったわけでないことを過失と言います。
中国の「論語」でよく言われる言葉に「過ちは改むるに はばかることなかれ」とあります。過失を侵したことに気づいたら体裁や体面などに捉われずにただちに改めることを言います。
自分意思でない過ち(故意でない)は、是正しない態度の方が問題なのです。
真面目に誠実に謝罪する態度により、結果として早く適正に処理でき、悩むことも少なくなるのです。メンツにこだわったりして、頑固に自説を曲げない人も見られます。
「みっもないことはするな!」と昔、親から言われたものです。

ここでの主人公は、機会を失い悩みましたが、この契機が訪れたことで、泣きながら自らの良心に添っていうことができたのです。この教訓は、まぎれもなく過失は、早く素直に申し出ることを言っているんです。(y・k)