2019年5月20日平成28年8月夏季教員研修会「人権的な教職員の振る舞いについて」
<主旨>
教職員の振る舞いの基本は、児童生徒と自分の関係性で成り立っています。故に、子どもたちへの理解が大切になります。子ども達は、未だ生まれて6歳から14歳と全てに未熟であります。教科での知識と学校でのルールも大切ですが、対相手が個性ある人間であるという基本を、踏まえた教育が大事となります。「人権教育」と言われます。
特別に人権教育のカリュキラムがあるわけでなく、あっても主題を小分けにしたものであります。真に子どもの人権を分っての教育をするとしたら、何が大切な要素であるかであります。
「人権教育の4要素」として、個人としてまとめてみました。ここでは、詳細に書けませんが、
(1)人命を知るという事です。命の大切さを知る上での、命は、どこにあるか?・なぜ死があるのか?を考えることで、時間の意義が分かり時を大切にする。真剣に生きる事の必要性を言うことができます。
(2)人身を知るとは、人の身は、個性を持って生まれ、あらゆる人の顔形・考え・振る舞いは、違うという事の認識を持っ事で、どうしたらうまくいくかの中庸的な纏めツールを常に考え切る事の癖がつき、子ども一人ひとりの個性からの役割の振り付けができて、子どもの特性を伸ばす工夫を考えられる。
(3)人の心を知るとは、対話の大切さを知らしめることです。メール等の社会進化は、顔を見ての話が少なくなります。人情が分らなくなります。顔を見ながらの感情交換が少ないと気持ちを正しく汲み取れないことが起こります。人間は、本当の自分の顔を、見ないで死んでいくのです。写真・鏡等は、間接的な媒体写真ですので、四六時中いつも見ることは出来ません。
ですから、あなたは誰ですかと問われても、証拠は、永久に出せないのです。皆代替えの仮の写しなのです。会話は、相手の顔の表情を見ながら話しますので微妙な表情で会話でが成りたつのです。パスカルは、「人間は、考える葦である」と言ったのは、何一つ本当の自分の証しは示されないという事で、考えこそ自分であるから、歩とと人の会話こそ人間として意思疎通の最も尊いことだと言っているのです。
(4)人縁を知るとは、こうして相手と会話を返せることも。この人との関わりが無ければなされないこと。すべて自分と社会での関わりは、人のつながりから成り立っているという事を、大事に考えていけば、、何かの縁でつながっているはずです。偶然としても、なぜ一緒になったかのことは説くことは出来なくとも、めぐり合わせ出が、絆と思えば関係深く感じ仲良く成れるキッカケと出来るでしょう。必然と思えば一層の縁を感じ友情が深まることでしょう。
このよう淵源的な考えで、子ども達を思う教育こそ人権教育と言えるのではないだろうか。
こうした事への深みある研修によるインカネーション(肉化)こそ教師に求められる資質であると考える。(自著:人権なあに?より)(k・y)