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災害と人権について(阪神淡路大震災から25年を想う)

日本には多くの災害要因が内在しています。その日本で生きているのが私たちです。
人間は、生まれ出て生きている間、人権という憲法が定めている幸せ追求の権利があります。
一般に人は、その幸せを求め自らや家族の安穏のため、住居をかまえるか、アパートで生活をします。そうして懸命に働きながら、その中で家族としての日々の生活を考えて生きていきます。

こうした中、考えもしない突然の地震・台風・豪雨・洪水等で、家の倒壊や火災が起こった時、いっぺんに家・家財がダメになり再び平和な日の構築をせねばならなくなります。
この空しさを考える時、そこに縁あって住む自由の権利(移住・居住の自由)であっても、考慮して選択せねばならなくなります。

但し、住む家の選択としては、特に近年の温暖化での台風・地震だけは、予知できないことです。日本のどこにいても避けられないのです。
このため災害では「自分の命は自分で守ろう」(自助)ということが先々の究極の人権の擁護であり発生時では、国等で守りきれないことです。しかし高齢社会の中、また自分自身さえ動きがままならない場合もあり、故に「命こそ大切なり」で、どのように守っていくかを、災害時での「地域防災」に共に協力して「災害時」に併せて訓練(逃げる・集まる・共に助け合う)と防御受講(自分の家の中での逃げやすさの為の家具の転倒防止・家周辺の逃げやすさ)をすべきなのです。(共助)

災害時には、命の助かった後は、国や市町村での支援(公助)を受けられ、ここで人権保障されやすくなるのです。

小生は、阪神淡路大震災を受けて25年前に「防災士」となり、地域防災等で手伝っています。阪神・淡路の時も朝の就寝時でした。多くの方の死者6434名の中、60歳以上の方で就寝中に家具等の下敷きでの圧死は77%であったことを思うとき、一日の3分の1の命をほぼ確実に維持できる時間を過ごす、寝室の部屋には、大きなものを置かない等のことを徹して話しています。

「人権は、命あっての人権」だからです。(y・k)