2020年9月14日生きているってこと
風呂上がりの義母、何だか浮かない顔つき。ゆっくりと話し出した。
週1で出かける個人病院の付随施設で、同じように筋トレのために来ているメンバーから言われた何気ない言葉に引っかかっていた。
義母は95歳。瀬戸内寂聴さんとまではいかなくても、元気いっぱい、三度の食事の準備も片付けも、何とか一人でやり切っている。背筋は、まっすぐ伸び、杖すら必要としていない。頭もしっかりとしている。多少言葉が出てこないことはあるが、誰しも似たり寄ったりで普通とみなして良い範囲内。
ちょっと前、施設に通うのに、新しい日傘が欲しいと言って、一緒に買い物に出かけた。そして、また、来ている人たちが「皆さん、結構新しい靴を履いてみえるから、靴も欲しい。」と、買い物は、どんどん増えていった。自分で買いたいものが選べて、自由に買えるなんて、当たり前のようでいて、95歳の歳を考えれば素晴らしい。
施設までは、義母のゆっくりとした足運びでおよそ15分。真夏になっても、新しい日傘をさし、新しい靴を履き、自宅と施設を往復していた。
施設の方から、「いつも、自分で歩いてみえるから、足腰がしっかりしてみえますね。」と、褒められ、喜んでいた。
義母にしても、頑張っていて良かったなと益々張り切っていた。
ところが、ところが、「ええっ、この暑いのに、家族の人がここまで送らずに、自分で来ているの?」月1回、高血圧のために、病院の先生の診察を受けていることについても、「病院の付き添いも無しで、一人で話を聞いてくるの?」「それは、大変だわ!」「可哀想だわ。途中で、倒れたりしたら、どうもこうもならんわ。」と、話の展開は、義母が家族に見放され、面倒も見てもらえない、可哀想な年寄りだと決めつけられてしまった。
これまで自分は幸せ者だと言っていた義母だったが、さすがに、落ち込んでしまっていた。「私は、一人で診察を受けても、多少耳が聞こえないけど、先生がゆっくりと話してくださるから、自分の言いたいことも言えるし、困ったことは無い。」
義母に、「そう、自分のしたいようにする。自分のことは、自分で決める。いいんじゃない。これまで通りで。」
そして、週1の施設に通う前夜、「明日は、行き帰り、車で送ってほしい。」と言ってきた。「分かった。いいよ。〇時〇分に家を出れば間に合うよね。」
義母にしてみれば、頼めば、助けてくれる家族がちゃんといますよとばかりに、車での送迎になった次第。
気分が晴れれば、上々。これまで通り、快活な義母でいてほしい。
「ほら、なんていう名前だっけ?花に肥料を、そろそろあげないと、花が咲かなくなってしまう。肥料を買ってこないと!」
弾んだ声がして、(やれやれ、気持ちがやっと落ち着いたかな?!)と思う嫁でした。(c・s)