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ホーム心のビタミン

してあげられる幸せ

コロナ禍が始まる前、元同僚、気の合う仲間たちと、日帰りの旅行の際に立ち寄った店に、いろんな一筆箋が並んでいた。気に入った一筆箋を手に取りながら、
「以前は、よく買っていたけど、使う機会も無くなって、引き出しの中に入れっぱなしになっている。」と話した。
「そんなことはないよ。今でもよく使っている」
「どんな時に?」(そこまで聞いて良いのかと思いながら・・・)
離れた場所に住む息子夫婦の元に、お米や野菜など送る際に、必ず手紙を添えているとのことだった。お米は、母も歳で作れなくなったけど、地元で買ったお米を送っている。(お米は、どこでも買えるのに、わざわざ送るんだ?)地元のお米は、向こうでは、手に入らないからね。(なるほど!)
母が、やってあげられるうちは、してあげれば良い。そのうち、してあげたくても、出来ない時がくるからと言うんだわね。ちょっとだけ、近況を伝えたくてね。そういう時に、一筆箋って、便利でしょう?!(確かに、そう!)

自分自身を振り返って、実母が生きていてくれた当時、確かに「してあげられる幸せ」をいっぱい味わっていた。
身体の細くなった母にSサイズのパンツを買い、(ぴったり穿けるパンツだから、きっと喜んでくれる)と期待して、着替えさせたら、「あんた、こんなきついズボン、穿ける訳が無い。」パッと放り出されてしまった。(ええっ、Sサイズなのに!ゴムがきつい?)
確かめてみると、リウマチの手では、ズボンの上げ下げができない。仕方なく、帰路に、柔らかいパジャマ用のゴムを買い、心の中で(なんで、買ったのに、叱られ、こんな目にあうなんて!)とブツブツ。ゴムの入れ替えが終わった頃には、(今度こそ、気に入って貰わなきゃ!)と気分は前向きに変わっていた。
予想通り、母は喜んでくれ、2枚買ったズボンを交互に穿き替え、デイサービスに通ってくれた。
その人に合った介護、支援をしてこそ、本当に喜んでもらえる。本物の笑顔に出会えるのだと、母に教えてもらった。
今は、お墓に、近況報告を兼ねて、母に会いに行く。(したくても、してあげられない時が来るって、本当だね!)

今は、仕事と育児の両立を頑張っている娘に、頼りたい時は、いっぱい頼って良いし、やってほしいことがあったら言ってよといつも話している。崖っぷちまで追い詰められて、ノイローゼになってしまう前に。
孫の食事や排泄の世話、一緒に遊びながら、どんなに幸せをもらっているか、計り知れない。
相手をしながら、つい笑顔になってしまう正直な自分がいる。ちょっとした言葉や訳の分からない長い宇宙語を話す。真似のできない長い宇宙語は、実に面白い。宇宙人は、それでは会話が成り立ちませんよと言い切るだろうけど。実際に話せるようになるまでの間、一緒に楽しもう!(c・s)