2010年6月30日長の一念について
公共団体はじめ組織には、いろんなことが起こる。
この時、長のありようが問われる。
長は、人格(徳)によるところが大きい。
長は、積み重ねた多くの人生経験、経歴の中で任務を全する。
よく言われるのは、組織の長の心が行き届かない時、今までの様相が
一変して逆転方向に回転し諸悪が起こり始めることが、間々あるという。
僅かな心の置き所に隙が出るためである。
これを「長の一念の浅はかさ」と言うのである。
諸悪とは、嫉妬・憎悪・種々の病気・盗み・人を苦しめる(辛苦)など、
人間が幸せに楽しく生活するのに不要なものすべてである。
よく言われる
ギリシァ神話の「パンドラの箱」に次のようにある。
人間への贈り物の届け人として創られたパンドーラーが、
神々から預かった厳重に封印され、開けてはいけないとされた
箱を好奇心のあまり開けると中には、病気だの飢えだのまた不和等が入っていた。
これが飛び出して世界中に広がった。
パンドーラーはあわててふたを閉めた。
そして、最後に箱の底に残ったのが「頼りなくぐずぐずしていた、希望(エルビス)だけであった」
と言う話である。
浅はかな人間が、浅はかなことをして、浅はかなことを民にもたらして
価値あるものを失い、結果「希望」にすがりつく。
このパンドラの箱は、すべての長が持つているのだ。
このことを、逆に考えると、「絶望な時に希望を失わない限りそれらの諸悪を取り除き
幸せになる」ことを示唆しているのである。
長たるものは、この「浅はかさ」であってはならない、いつ何時でも浮き足無く
本気で民のことに配慮し、民に幸せを与えるため、
「自らのタスク(課せられた仕事)の本来のありようを誠実に守る心持を『長の一念』という」のである。
人間は、真実の希望こそが頼りなのである。(y・k)