2010年8月6日「原爆の日」に思うこと
今日は、広島に米国により原爆が投下され、65年目である。
午前8:15分の一分間の黙祷をしながら前に読んだ本の一節
を思い浮かべていた。
「戦争ほど残酷なものは無い。ーーー。愚かな指導者に率
いられた国民ほど哀れな者はない」という言葉であった。
オバマ米大統領の「核なき世界を目指す」との宣言もあり、
広島の今日は、国連のパン・ギムン事務総長やアメリカ・
イギリス・フランスの代表も初めて参列すると言う。
広島・長崎の多くの被爆死者に心から哀悼の誠を捧げます。
「戦争こそ、最大の人権侵害である」
戦争理由は、いくらでも創れるが、
その犠牲者の多くは、子どもであり女性であることだ。
「早く戦争を終わらせ犠牲者を減らしたかった」と原爆投下の理由をいうが、
これは欺瞞であるのだ。
ではなぜ長崎にも落としたのか?恐ろしい犠牲が出ることは、
すでに実験でわかっていたというのにーー。核は、この上ない絶対悪なのである。
「戦争の中での、人の心は、魔物の巣と化している」と先哲が言う。
「国と国の争いも、結局は、人と人との争い」であるならば、
「人間としての生きると言う共通の認識の中、真摯の対話での寛容的解決しか
方法は無い」のである。
「寛容力とは、人が人間らしく生きられるよう、それに反することには厳しくし、
生きるために善いことには、小さきことにも大いに賛同し、より大きく何十倍化
にしていく、正義力と共生力の総和」を言うのだ!
人権の活動の機軸も、このことにあるのだ。(y・k)