2011年2月2日信じあう強さ
サッカーアジアカップでの優勝の話題が賑(にぎ)やかだ。
「勝つことは、正義だ」と先哲は言う。
負けたら言い訳に過ぎなくなるからだ。
「勝つことは、心の高みが奥底から湧き出ることだ」
「正義を為すことに似ているのだ」
それにしても、新監督になり負け知らずとは、何か不思議さが内在している。
ザツケローニ監督の采配の秘密が報じられた。
「監督を信じています」「この監督のために勝たねば!頑張るのだ!」
との選手の言葉の中に、今の時代に忘れられている師弟愛の絆があることを感じた。
昨年8月30日に就任した後のたった5カ月位で、このように選手から言われる。
このことは、監督の人への思慮と力有の大きさだと思った。
短い間でも「一流の人に係われば一流になれる」との証をつくったのだ。
あの札幌農学校(現北海道大)でのクラーク博士も約10カ月しか滞在しなかったが
多くの立派な弟子が生まれた。
遠くでは、吉田松陰である。僅か2年余りの間で明治維新を築く多くの逸材を育てた。
それは、決して高尚なことでなく、学問は「人間とは何かを学ぶことである」と言い。
国の根幹である「人の心、人との関係のあるべき姿」を松陰は教えたのだと言う。
この間ザック(監督の愛称)は、何をしたのであろうか。
ザックが言う「選手を初め関わる全ての壁を取り払った」「チームが一丸となった。
スタッフ・料理長までが垣根を越えていた」と勝因を明かす。
信じあう強さが、一丸の火の玉となったのだ。
それには、監督、自らが気を配り、声をかけ、選手の性格を知り、
控えの選手に特に声をかけ誇りを持たせた。
そして子どもが生まれる選手の私生活まで喜んで、鼓舞したことにあったのだ。
「信じられることは、知ってもらうことにあり」を、監督自らが為し得たこと。
そして
「勝つこと以上に一人一人の悦びと内在する力量をどう発揮してもらえるかを、
真剣に考える人間性溢れる行動が、このような快挙と昇華した」のだと思う。(y・k)