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ホーム心のビタミン

ものごとの始まる時

 ものごとが始まる時には、必ず動きがあり生まれでるものがある。
地球ができる動き、空気が充満する動き、地球が回り始める
動きだってあったはずだ。

 いきものが生まれる動き、「生きとし生けるもの」が子孫を残そうとするDNAができる動き、
人間の誕生の動き、人間が人間を互いに認識し始める動き、
そして家族と言うことを知る動き、家族の集りが互いを守り合う動き、
やがて部族として集団となる動き、
 
 そして、国ができる動き、やがて世界ができる動きが出る。
この人間の中に、それぞれの個人の生きるあり方が生まれ、
国の生き方が生まれ、行動の価値観が生まれる。
そしてさらに、よりよい生き方をするため、趣味が生まれ文化が生まれる。

このように、ものごとの始まりから今に至るまで、考えは及ばないが、あったであろう確かな歴史がある。

こうしたことに、個人・国・世界の人の心の動きまで入れると、
「云々階乗」と数では、数えられない動きがあって、この現在社会が成り立っている。
 
人がそうしたものを感じる、感じないはともかく、全ての史観を人は、内包して今があることも事実である。

「地球史観」の学問では、解明していることは、ほんの僅かな一分であるという。
 そうした膨大なエネルギーの塊としての人間であるから、今も続くこの地球創生の永きエネルギーが
通いあっていると考えれば、可能性は広がりよりよい安穏な社会もできるはずである。
 
古代、家族を守り合う、反作用として戦うと言う命の作用が生まれ善悪が形成されたという哲学者もいる。
 また本来生命が誕生する時から持って生れたものとして、
人に限らず生きとし生けるものの本能であると言う人もいる。

そう考えるとこの地球の本能も、怒り狂うこともあり、穏やかな至福の時もあるのも確かである。

史観を学ぶ中で、最近の災害への警鐘として、人間がやりたい放題やってはいけない
心の問題であることに終着するのである。(y・k)