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ホーム心のビタミン

今日は、「サンキュウーの日」

「感謝の念こそ幸福の安全弁で大切なり」 (松下幸之助著「一日一語」より)
 今朝、出勤中の車のラジオで3月9日の今日は「サンキューの日」である
と放送していた。
 番組での「ありがとう」の言葉の投書の中に、先立たれた妻への感謝の綴りがあった。
この投書の最後には、漢字の「有難う」の同じ言葉が数句も綴っていたとのこと。
平仮名では、意味の深さは通らなくても漢字では分かる。

 おそらく「仕事・仕事と精を出しその助けも特と評価せず、稼いでいることだから自分を助けることは当たり前と思いながらも、この先にゆっくりとしようと思っている」のが普通の親爺達の感慨である。

 この矢先に妻に先立たれ「こうして上げておけば、こう言ってあげておけば良かったーー。」
との後悔の中、綴った感謝の文中、たった一言の「ありがとう」の言葉に
自分と共に苦労を重ねてくれて、「困難が有った」ことへの感謝を、漢字の「有難う」におそらく込めたに違いない。

 物事が生まれては消えていく、この人生にあって一筋縄に行く事などありやしないものである。
当たり前・当然・常識と言えることは、金銭の取引以外には、ないものである。

全て変化の中にあり同じ事などないからである。
だから、それぞれの人がそのことに命を削ってやっているのだから感謝なのである。

人との関係につき福沢諭吉は、「世の中で一番美しいことは、
全てのことに愛情(感謝)をもつことである」また逆に「世の中で一番尊いことは、
人のためにやっても決して恩に着せない」ことである。(大要)と、なぞらえている。
 
あの中村雅俊の「ふれあい」の曲に「人はみな一人では生きていけないものだから」
の歌詞のとおり、人は、皆多くの人に支えられて生きていることへの感謝が分かった時に
人権の要の公平さと公正さが分かるものである。(y・k)