2013年1月11日新春雑感「見守るということ」
昨日10日開かれた可児市人権教育推進委員会(市教育委員会主催)での,本センター川手事務局長の講話内容2つの内の1つです。(他は、1月11日ぬくもり日記参照)
新しい年が明け、3学期が始まりました。はしゃいで元気で登校する子ども達の姿を見ると戦後の貧しい頃、兄の古くなったランドセルを背負っての自分とが重なり、何か心が安堵し嬉しくなります。
今朝の寒さの中、庭の陽だまりにある小さい鉄の釜の中の福寿草の芽が大きなり、黄金色の花弁の顔がちょっと見えていました。この釜の中で咲く福寿草には、思い出があるのです。
昭和19年頃太平洋戦争時、母は、兄と私を育てていました。終戦時には、家にある鉄のものは、全部拠出させられ、戦争の道具に使われました。
母は、子どもに時々麦飯を食わせてあげたく、秘かに隠し待っていたのがこの釜であったのです。それから時がたち、次男の私が結婚して、岐阜の地に転勤したとき、母が4人の兄弟を育てるのに大事にしたその釜に、母がいつもその花を見て今年もがんばろうとし、勇気付けられた大好きな福寿草の花を植えて持っていくようにと、もらったものです。その花を見るたびに、今は亡き母を思い起こすのです。それが毎年今なのです。人には、その人の多くの人生があります。その思い出は、「3つ子の魂」から始まり社会に出て会社を辞めその後の人生を歩くこの永い間は、全ての人が人との係わり合いで成り立ち数万ページでも書き表すことのできない自分史ができます。また今も続けているのです。
「その時々に人は何を考え、何を信じ求め、如何様に対応して生きてきたのかを一個人だけでなしに、その地方の人の心がどうであったか、この地方の人の心の置きどころの集大成の源流に日本人の魂がある」こう考えて東北等の各地を回り、その地方の心のよりどころの民話・伝説(河童伝説・座敷童子等)・祭り・個人の不思議な体験等の中に究極の求めるもの、の日本人の魂があるとの説を唱え調査したのが、日本の「民俗学の創始者」と言われるのが柳田國男であります。(柳田等は、郷土会を結成して新渡戸稲造・前田多門・小野武雄・牧口常三郎・また内村鑑三・志賀重昂(しげたか)等明治から昭和初期の教育界に名を馳せた人たちの集まりである)
先日の1月6日の午前1時頃の深夜からのNHKの放送で長いタイトルで<「日本人は何を考えてきたのか」魂の行方を見つめて、柳田國男・東北をゆく>があった。
コメンテーター<重松清(作家)・谷川健一(民俗学者)赤坂憲雄(大学教授)>
歴史上今までにも多くの震災被害を出してきた東北の地、この度も1万9000人(死者と行方不明者合計)もの犠牲者を出した、一瞬のこの惨事に命を落とされた人々の魂は,どこにいくのかをテーマにしての放送であった。
明治から昭和まで生きた民俗学者の柳田國男が、「明治の三陸大津波」被災地の山田町の出来事を「遠野物語」に著し、この99番目の物語として書いていることを例にして話していた。この物語には、当時の津波で死んだ妻の幽霊に合ったことが書かれていると言う。
家と共に妻が津波に流され子ども3人でバラックの家で暮らしていた夫が、ある時、月の出る晩にトイレに外に出た時一組の夫婦に出合う物語である。その女の方は自分の妻であった。夫と結婚する前の仲のよい男と夫婦になっていたと言うのである。夫が「子どもは可愛くないのか」と問い詰めると思いだしたようにその場に泣き伏し続けた後、霧のかなたに消えていったという短い怪奇な話である。意のままにならなく親の言うなりにしなければならない、寒村の田舎での当時の出来事であるが、子を思う母親の魂が、死んでもそこにはあることを物語っているのである。この実名の話に出てくる人の末裔がこの放送に出演して、この度の災難に同じように家族が流され行方不明であることも証言していた。
「魂は、どこに行くのか」を柳田は、同じ会の後輩の「人文地理学の創始者」牧口と全国各地を調査して、歩き思索を重ねながら深めて行った。そして最後にこのように言うのである。「魂になってもなお生涯の地に留まると言う想像は、自分も日本人であるがゆえか、私には至極楽しく感じられる。できるならばいつまでもこの国にいたい。そして一つの文化をもう少し美しく展開して、一つの学問ももう少しの世の中に寄与することを、どこかささやかな丘の上からでも見守っていたものだと思う」柳田はこのように言い「死後の魂は、家族を守る守護として、自分の住んでいた所の近くの山に居続けながら、見守るものである」と決論づける。
宗教でなしに日本人の素朴な心の底辺にあることを柳田は学問としたと解説者は言っていた。また東北の地の歴史的な災難は、こうした魂が生きた人死んだ人との交感の中にあるゆえ強く生きられるのである。いかなる状況であろうと必ず希望の道はあると言う能動的な見守りにより東北魂は生きてきたのである。との主旨の話していた。
ともかく多くの人が死んだでは済まされない、震災の鎮魂と記憶の伝承という大きな課題に向き合っている今、魂はどこに行くのかということとともに人は如何に守られ見守られながら生きていくかを同意語のように感じたからここに2つの例を引いて示してみました。見守ることとは、これほどにも精神性の深さを持ちながら、力強く人の感情の中に生き続け、死後の魂の中にもあり生き続けることなのです。今生きている私どもにとり、これを思う時に何か実体として、母の思いの「福寿草の釜」のことのように、死んでもなお愛を感じさせる物事ができるならば、その人にとってもまた連なる人にとっても、これ以上の幸せはないと思います。
子どもたちの将来を案じ、見続け、見守り、育む私たち教育者に、そのような実体を少しでも多くの子どもたちの中に残す作業ができたならば、どんなに素晴らしいことでありましょうか。
これこそが人権の育みの究極ではないだろうか思うようになりました。(事務局掲載)