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心弾む嬉しい感動話!

 先日、心も弾むような嬉しいことを聞いた。小学校に通う子を持つ若いお母さんからである。
 最近のマスコミ報道でいじめやら体罰等のニュースを聞くたびに心を痛める
ことが多かったから、よりこの話は嬉しかった。
 この母親は、一人の感性の強い子どもを育てていた。
この子は、大変に母親思いであった。母は、家から自転車で15分位の場所にある
職場で働いていた。
 ある時、この子が学校から帰りに雨が降り始めていた。
母は、傘を持って行ったのだろうかと心配になっていた。
家に帰ってみると案の定、母は傘を持って行かなかったことが分かった。
帰りの寒い中雨にぬれて帰る母を思い出したら、いても立ってもいられなくなり
合羽を着て自転車に乗り母の職場に向かい、母の自転車の荷台に傘を置くと
一目散に家に帰った。
母の安堵の顔が見たかったからーーーか。
 この子は、母の嬉しい顔を見ることが好きであったのだ。子どもはみな同じなのだ。

しかし母は、気をつかいすぎる子をむしろ悩んでいるようであった。
小さい時は、天真爛漫であってほしいと思っていたからだ。

人は生まれながらに、生まれ持った性格が続くのであるという。
この性格は、よほどのことがない限り変わらないらしい。
人それぞれであるから、世の中はうまく丸く収まっているのである。

性格には、良い点と悪い点が表裏一体として備わっているという。
おとなしい子は、積極的でないが、沈着冷静である。積極的過ぎるとトンチンカンのことをして
しまうことが多くなる。ゆえに良い方向になるよう気持の質(気質)を伸ばしてあげればよいのである。
誉めてあげることだ。 

 またこんなことを言った。「学校で皆と騒いで女の先生が授業できないと涙を流したのを見て
一緒に騒いでいた一人として反省したのか、帰りに四つ葉のクローバーを摘んで先生の
帰るのを待って『ごめんなさい』と言って、その葉を渡したという」先生は、このことがうれしく
自分の氏名証の裏に入れて大事にしていたと言う。
 いつかそのことを知った子どもが、先生に見せてもらうと、もう茶色に変色した葉がいくつかに
切れていたという。
 先生にもう捨てたらと言うと、いわく「これは先生の宝物だから大事にしているの」と言ったそうである。
おそらく先生もこの子のこのことが嬉しく先生冥利(使命)を感じたからであろう。
 この子も嬉しかったであろう。すばらしい先生との交歓である。
近代教育の父のスイスのペスターロッチは、直感教授(育ではない)を提唱しているが
正にこのドラマである。
何か本にしたいシーンである。
可児の小学校での実話ゆえに残しておきたのでここで紹介した。
 
 この子どもの行為には、優しさがあった。「人間らしさとは、優しさである」優しい字は、人偏に憂うと書く。
人を憂うとは、人の悲しさ、苦しさ、寂しさを思いやる心がやさしさとして現れることである。
 人の心が分かるこの子は、人間らしさ分かる子なのである。
人権は「人間が人間らしく幸せに生きていくための権利である」から、幼少にしてこの子は、このことを知り
人間らしい人権を実践していることになるのである。
 この育みは共にあり、「この母あり、先生ありて」、であり、「この子ありて、母あり先生あり」なのである。
 今、学校のありようを問われている時に可児市の小学校で、このような話題があったことに心から感動
したのである。(y・k)