2013年3月8日春よ、こい!(雑感)
春恋しさの歌に「春は名のみの風の寒さや」と吉丸一昌の詩「早春賦」がある。
三寒四温とはよく言ったものである。今は、東北は大雪だと言っても春は来るのです。
「自然ほど伝統を重んじ物事を繰り返し忠実でウソをつかないものはない。
自然には人と違い、心がないからウソのつきようがないのです。だから過去に溢れる
証拠を残してきているのです」(宇宙物理学者:佐j治 晴夫著より)と言う。
しかし人は、じっとしていられなく春の暖かさを追い求める。
それは、人の心には常に大きな温かい入れ物があるからだ。
その入れ物に良いことの証しを入れ始めるのが春だからである。
春こそが、芽吹く季節を育む永遠のリズムへの美意識をそこに感じるからである。
雪の早春に咲く花は、少ない。
雪割草は、知られているがザゼンソウは、知られていない。
湿地に自生するこの花は、舟の形をした厚い葉が花を優しく包み
わが子を寒さから守る母親のようで、開花の時は自ら20数度の
熱を出し覆いかぶさる雪を溶かして花を咲かせるという。
また、春は生きとし生けるものの活動の時、一斉にこの世には自らがあり、
居ていることを誇示し合う時なのである。
だから人は、人間だけで生きられない畏怖の念と同時に希望への安らぎ
を感じるのであろうか。
畏怖とは、恐ろしさでなく共に生きることへの神々しさなのである。
家の記念樹の桜もちょっぴり大きくなった気がする。
早く多くの花が咲くのが見たいものだ。
やはり桜は、春の象徴である。極寒のヒマラヤから生まれたから美しいのである。
なんといっても春本番を告げる花である。卒業式・入学式には桜が似合う。
東明小学校の「麻美ちゃん桜」(今は、命の桜と命名)も17年もたち大きくなり、健康の大事さ
を学校の伝統にしてくれている。
滝廉太郎の詩「花」のうららかさがいいものだ。
「春のうららのすみ田川」のような春たけなわが待ち遠しい。
もうそこまで来ている春だ。「冬は必ず春となる」との格言を心に東北の震災地の人は、
今も頑張っているのである。
人は大小あっても全ての人が、人生浮き沈みの流転の中、歯を喰いしばって心で
泣きながら乗り切った時、人は必ず春風の中にいることを気づかせてくれるもの。
また春から咲き始める花に、この歯を喰いしばった後のような花が「片喰み」(かたばみ)である。
葉は、ハート形で先端をより寄せて合った形をしている。
カタバミは、球根を持ち地中深く根を張り広がっていく根強い植物である。
花ことばは、「輝く心」「心のかがやき」「喜び)」「母の優しさ」と言うように多くの力強さがそこにあふれている。
だから、この葉をあしらい菊形の人文字を配したデザインが「人権擁護委員のバッチ」である
このことをあまり人は知らない。
目立たなくても良い、この精神が広がってほしいとの祈りが込められているのである。
(y・k)