2013年4月9日「春はあけぼの」雑感
「春はあけぼの」と春の夜明けは、風情があると詠った詩人は、
平安時代の清少納言である。枕草子の冒頭にでてくる。
特に山際を這うように細く、たなびく紫かかった雲がいいという。
このように書いてあるので、決意をして朝早く起きてみた。
目が覚めたらもう太陽が山の上に出てしまっていた。紫の雲がたなびく
様子は見られなかったが、散策した方々には、桜やレンギョウ・菜の花
・パンジー・タンポポ・スイセンの花が色とりどりに咲きほこり、鮮やかであった。
まさに百花繚乱とはよく言ったものである。
咲き誇るとの言葉の通り、それぞれが自分の持ち場を守り主張して存在に
プライドを持っているのである。
今は、新しく人生の出発の時、入学・進学・就職等皆希望の時だ。独り立ちの時である。
何があろうが力強く進んでほしいことを祈るばかりである。多くの立派な人に育ってほしもの。
百花繚乱も、人の世界でも同じである。秀でた人物が多く出て文化の花を咲かせる
一時期を言うものだ。
江戸中期の「天命の大飢饉」、浅間山も大噴火した時だ。江戸の町も混乱していたが、
この時に日本で最も文化が興隆したことをあまり知られていない。
歌舞伎が繁盛し狂言・浮世絵・川柳・長唄さらに、俳諧では蕪村や加賀千代女が出た。
小説家では上田秋成・絵画で丸山応挙またあの鬼才の平賀源内。学問では、本居宣長
・杉田玄白等で、まさに百花繚乱であったのだ。閉塞感を打破したいと立ち上がった人
たちであった。
今日のような世相での浮き足だっているもとでは、人間の貪欲が出過ぎないことが大事である。
家の裏には梅の木が3本大きく繁茂している。
「この春も匂いおこせや梅の花」で3本とも色違いで紅梅が特に綺麗であった。
いつも飛んでくるウグイスの初鳴きを聞いたのは、花が散って間もなくであった。
例年では、上手に鳴けない初鳴きの練習が聞こえてくるが、梅の花の咲く方が早かった
ので、びっくりしてあわてて、どこかで練習をしてきたのか?初めからホ―ホケキョと鳴いていた。
おまけに谷の鳴き渡りまで演じていたのがおかしかった。
ともかく、何事も心が和む事の多いことは、良いことである。
多くの感ずること、思うことの変化への対応力が持て知恵を育んでくれからである。
だから春はいい、希望のときである。
本センターも決意新たに出発の時なのである。(y・k)