2015年1月7日さあ!今年もスタートだ!
4日に本センターも仕事始めであった。
「日々新た、又日々新たならん」(中国の古典「大学」にある)の気持ちで出発するに際し
皆で、今年の行動基準を決めあった。「焦らずに、まわりに気配りを」が、自らの「今年のモットー」として机の前に貼った。
各市長の職員への「仕事始め」の言葉が、新聞を賑わせていた。
可児市長は。「市民に対し安心の仕組みづくりをして、たたえ合える一年後としよう」と抱負を述べている。
「たたえ合える」とは、「称え合う」「讃え合う」「湛え合う」ことなのである。
「称=評判・名声を誉める」・「讃=最高なことに賛嘆すること」「湛=満面な心身の微笑む姿のこと」である。「合う=互いに顔をつきあわしてのこと」であるから、面と向かい対話することである。
ゆえに、可児市長は、「職員が市民の安心できる多くの仕組みづくりをするために、互いがよく生きあいながら協和し、結果として、市民が最高に喜び、共にやってよかったと手を取り合い満面な笑みを浮かべ合いながら、「住みごこち日本一のまち」との評判となれるような一年にしていきたい」との決意を述べたものと思う。
全体に流れる「たたえ合える」という動詞には、多くの思いが込められていることを知らねばならないのである。
「たたえ合う」極限の逸話は、あの英国のテニスの世界大会で有名な、「ウインブルドン」のセンターコート、僅かな人のみが最後の決戦をする、そのコートの入り口の上に掲げられている「IFの名言」として有名な言葉がある。
「もし、あなたが勝ったとしても敗者を、たたえ尊敬できますか」また「もし、あなたが負けたとしても勝者を、たたえ尊敬できますか」「もしそれが出来なければ、ここで戦う資格はありません」(要約)
「たたえ合う」ということは、人間として、人間性の極地であり、もっとも尊極の品格であり、究極の良識であり、気高き行為と言えるのである。(y・k)