2015年2月5日「一」と言う概念の大切さ
今年も始まったかと思っていたら、もう一月が過ぎて2月に入っている。「光陰矢のごとし」と言われることが、身にしみてわかる。
1月には、新年度の活動に思いを馳せる。 組織は、「庁の一年」でなく「長の一念」で決まるというからだ。
組織が何かをしてくれるのではない。そこの居る人が為すのであるからだ。ゆえに、その長の決意が人の意慾となって跳ね返ってくる。
今、ここに「人間の建設」という文庫本がある。文化功労章受章の2人の
対談集である。一人は数学者の岡潔であり、もう一人は、近代比評家の小林秀雄である。
岡は、「数学という学問は、一というものを扱わない」
一という概念は、人間の一生の中での「赤ん坊が、生後18か月の体験に似ていて、
一人で立ち上ろうとすると全身の400程の筋肉が統一的に動くと同じように、つまり一の
中に全てが含まれているからである。
その中でいろんなことを考えていくわけで、一という広大な世界が有るわけです」(一部要旨)
と言っている。
長い生涯を捉えて言っているが、年々の節目の一にも、このことが言えるのである。
「一年の計は元旦にあり」と言われる所以である。またこのように言ってもいる。
「赤ん坊は、お母さんに抱かれて、お母さんの顔を見て、
笑っている、このころは、自分や他人の別はなく、母親は他人で、抱かれているのは
別人だと思っていないながら、親子の情というものは、既にある。
情操(情緒)は、人のもっとも先に芽生える感情であろう」と言う。
組織も同じであり、抱かれた人とのかかわり合いに中であるからである。
そうした中、「赤ん坊は、生後18か月頃に自分を発見するという。
個人・個性と言う個は、一つにまとまった人を創りはじめていく」(要旨)
組織も、長の意識力で、そこの係る人が個々に力を発揮して、全体と言う組織を
創り上げていくもの。
「自他と時間の2つの観念さがない状態の時、のどかな安堵感は、できる。
それは、赤ん坊が、お母さんに抱かれている時の情緒である」 と2人の対談で言っていた。
分け隔てなく共に融合して、安心して感じ合える状態が平和の概念であろう。
このような関係づくりこそ、人権の啓発の原点なのである。
ともかくも、人の向上は、積み重ねた意慾の連続性の中にあり、その発端は、瞬時の
ポジティブの熱情ということかと思う。(y・k)