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ホーム心のビタミン

戦後の人権の歴史の中で

 大戦から70年の節、多くの報道が人の災禍の過去を報道している。

安倍首相さえ戦争を知らない。また多くの若者が知らないからだ。

命の底から戦中・戦後での悲哀で辛苦の地獄絵の中、生き伸びた思いを語る

深い皺の顔に痛切の感が漲(みなぎ)る。

自分の生きた田舎でも、少量の農産物さえ供出と称しお上に納め、食べるものは少なかった。さつま芋の葉を、臭い蚕のさなぎの油で天ぷらにして食べた。いつも麦飯や粟飯で、米はお盆と正月以外どこの家庭でも普通食べられなかったものだ。

戦争ほど残酷なことはない、人間同士が殺し合うのでからである。英知を持つホモサピエンスのやることでない。低俗の畜生の命を持つ、利己主義で傲慢で憎悪の舞い上りの仕業しかない。人類は、常に家族・集団・民族・国として共和の塊をつくり、他のこうしたものからの侵略から守ることで自分達のみの社会生活の安寧をまず守ってきた。今も全くこの原理は変わらないでいる。ここには、いったん戦争となれば倫理道徳もない故人権もない。あるのは勝ち負けのみで勝者の見返りの搾取である。英知の大人らしさは、そこにない。

思えば、人間は平和のためにといいながら戦争をやってきた。イギリスのロックの人権と民主政治の理論は、17世紀に説かれフランスの市民革命後世界で初めて「フランス人権宣言」(白人・成人男性のみであったが)が生まれて、今の民主憲法の原典である人権の尊重が高らかと宣言され各国の憲法に取り入れられてきたが、それでもそれ以後に、大きな戦争があるたびに人類の生存自体が困難となり、人権を叫んでも無意味に帰しまった。

「戦争こそ人権侵害の最極の悪罪と言わねばならない」

世界は、一つであると願いながらも分裂をして侵略統治してきた。

(国際原子力機関代表:エルバイダイ)は次のように言う。

<「我ら」と「彼ら」の立て分けを「我々」と言う言葉で語った時のみ平和が実現する>

科学の発展は、核物理学者はそれを核兵器にした。また今、電子情報化時代では、これから国・国民・施設へのサイバー攻撃で生活が脅かされる危険にされている。人間社会は、科学の享受で便利で豊かになったが、これによりさらに大きな恐怖を覚えるのである。

すでに「子どもたちでのネットいじめ」が、又大人たちへのネットバンク侵害・人格への偏見差別事案が増加している。

人が作る得たものにしろ、人智を超えるモンスターとの戦いになるような気がする。 こうしたことも善悪を持つ人間によるものである。

善意を持ち人類に貢献できれば、幸せと言う人間の生きる目的を果たせるが、憎しみを持ったサタンを持つのも人間である限り、何を知れかすか分らないのが、これも人間の仕業なのだ。

何があっても、国の主でも、我々でも、そばにいる一人一人の顔の表情を見ての対話しながら互いを信頼して理解し合うことこそ、全てに勝ることはないように思う。(y・K)