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命の尊さを知る!

★リオのパラリンピックが開幕されます。多くのアスリートの真剣で懸命な競技に、多くの勇気をもらえます。先のオリンピックも同じです。

障がい者も健常者も同じ個性を持つ人間ですから感慨も同じです。

★「障害者差別解消法」の制定(28年4月1日施行)での考えの中にあることを策してみました。

 (1)人は皆、平等・公平である。けれども環境や年齢・身体能力などは同じではない。だからこそ尊敬の念や思いやり、いたわりの心を以て接することは大切なことである。

(2)人権侵害(人権蹂躪(じゆりん))は、人を自分より見下したり、貶めることで優越感を持つためのものもあったように思う。

(3)現在は、生活や文化が豊かになったことから、行き過ぎた親切やいたわりが人の心を傷つけ、それが新たな種類の人権侵害の一つになっていることもあると言う。「善意イコール感謝されるべきもの」と言う考えが全てに当てはまるとは限らない。またあてはめようとしてはならない。

(4)その人にとっての「一番」は何か。一人ひとりを尊重するためには、本当の助けが必要かどうか、出過ぎたことをしていないかを見極めることも大切であろう。「お手伝いしましょうか」と先ず聞く。

(5)同じ人間同士が無意識のうちにつくりだしている優劣の壁を取り払うこと。自分の価値を相手に押し付けないこと。その人の心に寄り添い理解し合う努力こそ人権を守る大きな力に成るでありましょう。皆異なっていることが平等と言うことではないでしょうか。

(6)しかしそうした考えが、躊躇心を起こしてしまうことのないように、しなければと思います。

★今日、「可児市教育研究所」に併設される「可児市適応指導教室」の機関紙「スマイル」を

いただきました。

いつも障がい者教育に携わってくれる室長の心に感銘しています。

今回は、あの「津久井やまゆり園事件」のことが書きだしにありました。

★40年前に比べると障がい者への教育や行政施策も大きく変わり環境は、確実に整ってきたとあります。

「ノーマライゼーション」の国連理念の拡がりがあり、国内でも「バリアフリー法」「障害者差別解消法」等の法整備もされ、より一層な差別のない均等社会を目指して、行政環境と共に住民感情の醸成を育むこととなっています。

★障がい者が個性として自由に当たり前の生活ができる社会に成るよう努めなければなりません。

★そうした障がい者の中でも、「スマイル」に書かれている、生まれながらの障がいを持つ人の家族の辛苦は、大変なことでことです。このことが書いてありました、胸が痛くなることですが、これが真実なので、書かせてもらいました。

★奈良県明日香養護学校に在学中の山田康文さんは、重い脳性まひで立つことも歩くことも

  話すこともできません。その彼が、まばたきでと舌で表現して、書いた詩とそのお母さんの詩を乗せさせていただきたく思います。山田さんは、詩の完成後2か月後15歳で亡くなりました。(風邪が原因) 

★「ごめんなさいね おかあさん」作:山田康文氏

  ごめんなさいね おかあさん   ごめんなさいね おかあさん  

ぼくが生まれてごめんなさい

ぼくを背負う かあさんの細いうなじに ぼくはいう  

ぼくさえ 生まれなかったら   かあさんのしらがもなかったろうね  

大きくなった このぼくを背負って歩く  悲しさも

「かたわな子だね」とふりかえる   つめたい視線に  泣くことも  

ぼくさえ 生まれていなかったら   ありがとう おかあさん ありがとう おかあさん

おかあさんが いるかぎり  ぼくは生きていくのです   脳性マヒを 生きていく

やさしいことこそが  大切で  悲しさこそが 美しい

そんな 人の生き方を  教えてくれた おかあさん

おかあさん  あなたがそこに  いるかぎり

★「わたしの息子よ」作:山田康文さんのお母さん

  わたしの息子よ  ゆるしてね   わたしのむすこよ  ゆるしてね

  このかあさんを  ゆるしてね   お前が脳性マヒと知ったとき

  ああごめんなさいと  泣きました  いっぱい、いっぱい 泣きました

  いつまで たっても 歩けない  お前を背負って歩くとき

  肩にくいこむ重さより  「歩きたかろうね」と 母心
“重くはない”と聞いてくる あなたの心が せつなくて   
わたしの息子よ  ありがとう  

ありがとう 息子よ  あなたの姿を見守って

  お母さんは  生きていく   悲しいまでの  がんばりと

  人のいたわるほほえみの  その笑顔で  生きている   脳性マヒの

  わが息子よ   そこに あなたがいるかぎり