2016年10月4日「秋の日」雑感
秋は、事業の積み重ねが実を結ばせる時である。よって催が多くなり、毎日が忙しい日が続きます。忙しいことは、人権がより広がる時と思えば、力も湧いてくるもの。
例えば、秋の夕焼けは、憂愁を秘めた色と光を漂わしてくれるもの。憂愁の意から言うと悲しみ哀れむ心を表す言葉であるから、憂愁にも汚されない純粋の色と光の夕日が素晴らしいこということであろうか。
日常の生活での喜怒哀楽の中にも哀がある。哀には、美しさが潜んでいるのかもしれない。
怒ることの心にも、善悪で捉えれば、師弟の愛から、怒る事の意味は、悪い事でなくなるもの。どうあれ喜ぶこと怒ること哀しむこと楽しむことと言っても、そう長く続くものではなく、2~3日続くこともあり一瞬で終えることさえある。
善悪の混合が人生であるからだ。悪さが続いても、耐え忍んで絶対に負けない、しなやかさのある折れない心(レジリエンス)が大切と言えよう。そのためには、こうした辛苦があってもこれも
このためにあると思えば、すべて包含できる。さらに昇華できる強い志があればなおさらのことであろう。
このことに関して偶然にも、
昨日、ノーベル賞に今年も、大隅良典氏(東工大栄誉教授)が、生物の細胞内のたんぱく質を分解して再利用する自食作用(オートファジー)と呼ばれる現象を分析して、生命活動を支える基本的な仕組みを明らかにし、ガンや老化の抑制に関係していることが判明した功績に対してとのことである。
丁度3月に発行した本センターの人権本にも、「なぜ命は大切か」を言い表そうと人の細胞と細菌の関係の共存について著わしました。この細胞は、人には、約60兆個あり、その内一日で最大15兆個もの細胞が新しくなって人は、生き延びていることを引用しました。では、この15兆の細胞は、いかにして排出されるかが疑問でしたが、この度大隅先生の自食作用で、リサイクルされるとのことで、理解できました。
冒頭の日常の生活の中でのことも、悪いものが、より良いものにかわり得る構成は、この度の細胞の原理だけに関わらず、同じ体を貫いている心の中の原理は、相通じているように思いました。身に係る辛苦なども、自らの奧底にある使命を感じて実行するならば、すべてが実のあるものにかわり得ることを教えてくれているように思えました。
人生の味付けも、心一つで変わってくる不思議なものです。
秋は、人生を深く考えられる時のように思います。(y・k)