2016年11月11日子どもが安心して生き学ぶ仕組みづくりを!
先般、東京において社会教育の大会が開かれたとの記事を目にしました。
特に、子どもたちの実態に即した社会での育みが、主なテーマであったようです。
その記事内容を見ますと大事な点がいくつか見えてきます。
(1)学校以外での学びの場が少ない。(2)安心できる居場所が少ない。こうしたことの必要性は約十年前から叫ばれています。その結果の指標は、現在約12万人の子どもが不登校のこどもがいることだと言う。
そうしたことになる理由には、一概に言いきれないことが潜んでいます。
ここで述べられていることには、大きく分けて幾つかのことが挙げられています。
(1)学校教員の多忙さ(2)子どもの多様な発達特性への対応の困難さ(3)一人親世帯の増加 (4)子どもの貧困の増加(家庭の困窮)等。
これらによって起こる「子ども」とのコミュニケーション不足は、(1)親と子ども(2)教師と子どもが主原因であるようだ。だが、不登校であることを一番苦悩しているのは親なのである。
その事が分っていても、日常生活を如何せん生きるために、仕方なく手の回らない悲壮な現実があるのである。
ここで肝心なことは、親や教師に今の現実の解決を求めてもなかなか良くならないであろう。このことから、当面対応として浮かび上がるのは、地域の高齢者に見守ってもらうことの大切さである。ここの記事では、親子に寄り添う「励ましネットワーク」の構築が大事であると結ばれていた。
たとえ、どのような理由があってとしても、ともかくも子どもたちが、生きる喜びと学ぶ喜びを分かち合える仕組みづくりができればよいのである。親も喜び子供も喜び教師も上向きな考えで子どもの育みができるような仕組みづくりが必要であろう。
居場所だからと言って、何かスペースをつくることではなくて子どもの心が安寧になる心のスペースこそ必要なのである。このことを深く考えることであろう。
「いじめには、動態な悲惨さ」があり、「不登校には、静態な悲惨さ」があり、どちらも親にとり苦悩の渦の中にいることは人権問題として、同じであるからだ。
具体的なシステム作りに知恵を働かせたいと考えている。(y・k)