2017年3月1日春は、生き合いの季節
春には、多くの草木が芽吹き花咲き、この世に自らがいることを主張するとき。
人も同じ、今卒業式がたけなわである。子どもたちは、学校へ入学・進級・進学と期待と緊張の連続のとき。青年は、大学・就職へと、これまた人生の門出に一歩を踏み出す。
皆どのような人とこれから一緒にやっていくのかで、気持ちは、緊張と期待のカクテルの様であろう。
こうした多くの感慨の後に、新たな人達との交流・交際が始まる。こうして離合集散しながらそれぞれの人生が形作られ、新しい集合体が出来上がり人生の旅が始まるのである。
皆多くの進むべき道のある中、それぞれがここしかないと決断して、限られた同じ所に
集まってきたのだから、奇しき縁があり、不思議なことなのである。
ゆえにこのことが常に皆の心にあり、集合団結の核であれば、まとまった集団となろう。
しかし、これだけで良い結果と成りきれない。集団での進むべき使命・目的もあるし、個人のあるべき人生も重なってくる。そこにさらに益してダイナミックな善悪な要因・事象がこの関係の中に入り込む事が多いのでゆえに、一概に順風満帆と言えない人生を体験ながら、生きるのが人間である。
正に合縁奇縁といい、濃縁であるから、全て性格等まで同じで、すべてに気が合うとは限らないもの。同じ性格の人は、一人もいないのが人間である。「一本の赤鉛筆と言うと、赤と言う性質を形容するが、5本の赤鉛筆と言うと、その物の性質でなく集合の性質を言うこと」となる。個性からくる考え・行動すべて違うからそれぞれの人生違うのであるが、その人がそこに集まったのだから、集合の性質を旨として、それらを包摂する力ある大いなる人間性で推進することが大切であろう。(y・k)