「ホーム」へ戻る

ホーム心のビタミン

憧れることと羨むこと

 昨日23日は、小学校の卒業式であった。高校・中学校は月初めに挙行しているが
緊張しながらも真剣さが、顔と態度に表れていて、この姿を見る両親は、さぞかし
喜ばれていることだと思う。
勉強以外の生活についても、教師と親との多くの交流もあったことだと思う。
尊敬する恩師との別れ、思い出の学舎を離れ新たな人生の体験の旅立ちである。

 昔の光景が思い浮かぶ。都会に就職する息子を、山里の小さな駅まで自転車に
ボストンバック一つ積んで両親が送ってくれた。母は、体の痩せた自分に気遣いして
「行ったら、牛乳を摂って飲め」と言って涙を流した。憧れの職場へと行く不安は、
本人だけでなく親こそ一番心してくれるもの。こんな昔のことを卒業の光景を見て思い出した。

 この3月は、企業や行政は、期末である。業績のこと・来年度の事業のこと・4月から
の人事のことが、とかく話題となる。
この時期でのキーワードに憧れと羨むが、よく感慨とし彷彿する。

憧れの企業に行けた慶び。憧れの先輩の人に少しでも近づけるように頑張る。もう一つの、

羨むがある。この意味は、彼は自分と同期なのに自分より昇進が早かった等。他人が自分
より恵まれたり、優れたりするのを見て、自分もそうなりたいと願うことなのだが、この人の
心の奧底にあるものは、妬みに似たネガティブな感慨が潜んでいる。他人の幸せである
ことや,秀でていることを妬ましく思うことが心から湧現する。やっかみなのである
そんな心を出さずに、急げば廻れで、人の一生は、その事象で決まるものではなく、
多くの諸条件が、この先重なり合うことを如何に乗り越えられるかであろう。

またこの逆に早く人よりも立ち位置が上になると増上慢(思い上がり)の心が
出てきて、思うようにしないと気が済まない心が出る事もある。
いわゆる最悪な権力欲の命が出るから用心した方が良い。
特に、今、世情的な問題行動の裏には、こうしたことが蠢(うごめ)いている。
権力を持つ者の傲慢さが、知らずにそうしてくることが多いのである。
結局こうなる時に、人は、最終章となってしまうことが多いものである。(y・k)