2018年3月27日「ゆずり葉」の思いのとき
春は、桜と言われるが、多くの花が一斉に自らを鼓舞して咲き香る。
本センターの玄関には、昨年11月の「花いっぱい運動」時に呼応して中学校より毎年届けてくれる標語入りのプランターの「ビオラ」が咲き香っている。弱々しいが、「何のその」冬の霜にも負けず越冬し咲き誇る姿が眩しい。
桜等の樹木も秋の葉が落ちると裸木となって、幹の内に生気を蓄えながら、冬を過ごし春を待つという。
気温がゆるむ春に、一気にほとばしるように開花する。今日の桜模様である。
花が散った後に葉を青々と繁茂させ盛夏の陽を浴びながら樹幹をさらに堂々とさせていく。
「生きとし生けるもの」のサイクルとして、人間も植物もまた他の物も同じ生涯をたどることも似ている。みんな種族を残し、生まれ成長して老いて死んでいくことを生まれながらに心得ているのだ。
★庭木によく見る「ゆずり葉」という樹木は、春の新芽が出るとそれまで繁茂していた葉は、古い順に落ちていくという。ゆえに譲ることから「ゆずり葉」というらしい。
「新旧合い譲る」という縁起の良い樹であるので、正月の御供えに使われるという。
これは、人間の核とも言える家系が途絶えないように、また年寄りが若者が立派になってもらいたい願が込められてもいる。
新芽が出るのを感じて古い順に落ちていく姿は、いかにも生物の生き延びるというDNAの究極でもある。
苦労に苦労を重ねやっとできたことを、永遠ならしめようとすることは、人間社会でも同じである。
人間社会も春は、入学と卒業の時、また退職と入所の時でもある。懸命に蓄えてきた財産や技術・ノウハウ等を絶やすことなく、新たな力を得ながらブラシュアップされ、飛躍する力が繁栄につながる。
人の一生には、中々うまくいかず、とどこおることもあり、不本意の傾きの時もある。気も満たされず、体もすぐれず苦労の時もあり、相手をうらやましく思う時もある。しかし真面目さと懸命に精励する自分らしさを、いつか分かってくれる人が出てくるもの。
春は、こうした人事異動の思いも華やかさの春に隠れて一緒に移ろわしてくれている。
自分一人で、為したわけでもなく多くの関わりの人によりたまたまその位置を使命として任されていることを心得なければならない。
「為らぬことは為らぬものです」「恥ずかしいことは為さぬことです」
多くの人が「人間らしく幸せに生きるための権利」という人権を、みんなが謳歌でき繁栄することを祈りつつ・合掌(y・k)